軽海西城
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軽海西城 (岐阜県) | |
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別名 | 特になし |
城郭構造 | 平城 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 片桐俊元 |
主な城主 | 稲葉氏、斎藤道三、片桐俊元、一柳直末 |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
遺構 | 土塁 |
指定文化財 | 本巣市指定史跡[1] |
位置 | 北緯35度25分34.64秒 東経136度39分29.4秒 / 北緯35.4262889度 東経136.658167度 |
地図 |
軽海西城(かるみにしじょう)は、岐阜県本巣市にあった日本の城(平城)。城跡には円長寺が建立されている。1970年(昭和50年)4月15日付で本巣市指定史跡[1]。
概要
[編集]築城年代は不明。中世には稲葉氏が数代にわたって居城とし、1468年(応仁2年)に稲葉氏が東濃へ移った後は、斎藤道三が在城したという[2]。1559年(永禄2年)には織田信長と斎藤龍興の勢力争いが当地であり、翌1560年(永禄3年)に織田家の家臣・池田恒興の家老である片桐俊元が修築して居城とした。俊元はやがて池尻(現・大垣市)へ移り、1589年(天正17年)に豊臣秀吉の家臣・一柳直末が大垣城から軽海西城に移って6万石を領した。直末は翌1590年(天正18年)の小田原征伐で戦死し、城は廃城となった。その後、1640年(寛永17年)に城跡に円長坊が建てられ、宝暦年間に円長寺となって現在に至る。昭和初期には城郭の遺構も一部に残っていた。
なお、かつて城の東方には軽海東城があり、加留美長勝、朝倉高清、安藤守宗(安藤守就の次男)などが拠ったとされる[3]。
所在地
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館