辻本章次
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基本情報 | |
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本名 | 辻本 章次 |
階級 | ウェルター級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1948年9月25日 |
出身地 | 奈良県 |
死没日 | 2023年12月23日(75歳没) |
死没地 | 大阪市 |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 33 |
勝ち | 27 |
KO勝ち | 14 |
敗け | 4 |
引き分け | 2 |
辻本 章次(つじもと しょうじ、1948年9月25日 - 2023年12月23日)は、日本の元プロボクサーである。奈良県出身。ヨネクラボクシングジム所属。元日本ウェルター級王者。実兄である辻本英守も元日本ライト級王者である。
来歴
[編集]近畿大学では、ライト級でアマチュアの全日本王者になるなど、102戦92勝(46KO・RSC)10敗の戦績を残した。その後、プロ転向し、ヨネクラジムに入門。
1970年10月7日、浦和洋一(東海)戦(6回判定勝ち)でデビュー。
1972年10月30日、清水孝恒(セキ)が持つ日本ウェルター級王座に挑戦、6R終了TKO勝ちで奪取。
1974年11月11日、元世界王者で、世界ウェルター級10位にランクされていたエディ・パーキンス(アメリカ)に10回判定勝ち、世界ランキング入り。
1975年1月20日、龍反町(野口)が持つOBF東洋ウェルター級王座に挑むも、最終回に2度ダウンを喫し、その失点が響いて引き分け。
日本王座を9度防衛後の1976年10月27日、ホセ・クエバス(メキシコ)が持つWBA同級王座に挑むが、6RKO負けで王座獲得ならず[1]。
その後、日本王座防衛は「12」まで伸ばし、1978年4月28日、亀田昭雄(ミカド)に5RKO負けで王座陥落。試合後現役引退。
1993年、江坂ボクシングクラブの会長に就任。西日本ボクシング協会会長も務めた。
2023年12月23日に大阪市内の病院で死去。75歳没[2]。
戦績
[編集]- 33戦27勝(14KO)4敗2分
脚注
[編集]- ^ ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、264頁
- ^ “訃報 元日本ウェルター級王者の辻本章次さん死去 クエバスに挑戦 西日本協会長も務める”. Boxing News(ボクシングニュース) (2023年12月25日). 2023年12月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 清水孝恒 |
第26代日本ウェルター級王者 1972年6月6日 - 1978年4月28日 |
次王者 亀田昭雄 |