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辻順治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
辻 順治
つじ じゅんじ
生誕 (1882-07-01) 1882年7月1日[1][注 1]
日本の旗 日本 山形県西田川郡鶴岡町(現:鶴岡市[2]
死没 (1945-04-13) 1945年4月13日(62歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1900年 - 1933年[2]
兵科 陸軍戸山学校軍楽隊楽長
最終階級 大尉[2]
出身校 西田川郡大山尋常高等小学校 卒業[2]
配偶者 辻ミヨ子[3]
子女 あり
除隊後 日本ポリドール吹込部長
ビクターレコード洋楽部長
墓所 本鏡寺(山形県鶴岡市)[2]
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辻 順治(つじ じゅんじ、1882年7月1日[1][注 1] - 1945年4月13日[2])は、日本明治から昭和時代戦前にかけて活動した作曲家陸軍戸山学校軍楽隊第11代楽長を歴任[2]

現在の山形県鶴岡市出身[2]

来歴

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1882年(明治15年)、山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)で元大泉藩藩士・辻吉貞の長男として出生[2]大山尋常高等小学校を卒業後、同校の臨時教員を経て授業傭となった[2]。1899年(明治32年)に教員を辞し、翌1900年(明治33年)に陸軍戸山学校へ入隊する[2]

1910年(明治43年)、遺英陸軍軍楽隊員に選ばれて3月から12月までイギリスに派遣され、テナー・サクソフォーン演奏を担当する[2]。1927年(昭和2年)5月8日、第11代軍楽隊楽長を拝命、1932年(昭和7年)7月1日付で定年退官した[2]

退役後は日本ポリドール吹込部長へ転じ、後にビクターレコードへ移籍して洋楽部長に至る。1945年(昭和20年)4月13日死去。享年64(満62歳没)。墓所は郷里の鶴岡にある本鏡寺[2]

作品

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  • 標準軍歌集(野ばら社、1941年) NCID BB24035736 - 今村嘉悦との共著。

軍歌

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校歌

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自治体歌

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参考文献

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  • 『現代日本名士録』昭和7年版(よろづ案内社、1932年) NCID BA64064357
  • 『レコード音楽技芸家銘鑑』(レコード世界社、1940年) NCID BB0524202X

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 荘内日報の記事では「6月30日生」とされる。

出典

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  1. ^ a b レコード音楽技芸家銘鑑(1940), p45
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 佐藤太一 (1988年5月). “大衆とともに生きる 陸軍軍楽隊第11代楽長 辻順治”. 荘内日報. https://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp16.html 2024年3月28日閲覧。 
  3. ^ 現代日本名士録(1932), p296

関連項目

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