近藤貢
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近藤 貢(こんどう みつぐ、1899年(明治32年)12月13日 - 1974年(昭和49年)11月10日)は、日本の新聞学者。
来歴
[編集]神奈川県三浦郡初声村出身[1][2][3]。1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業[1][2]、朝日新聞社入社[1]。1955年日本新聞協会嘱託[1]。新聞経営を研究し[4]、東京大学、早稲田大学、上智大学などで教鞭を執った[1]。旧姓前田[5]。
著書
[編集]- 『アメリカにおける新聞集中化の傾向とその対策』朝日新聞社 1949年
- 『株式讓渡制限の禁止と新聞社の株式 : 商法改正案要綱への一疑點』朝日新聞社 1949年
- 『米国における治安立法と言論の自由』朝日新聞社 1952年
- 『英国における治安立法と言論の自由』朝日新聞社 1952年
- 『新聞社における廣告関係の調査活動』朝日新聞社 1955年
脚注
[編集]- ^ a b c d e 近藤 貢(読み)コンドウ ミツグ20世紀日本人名事典
- ^ a b 新聞人名鑑 昭和5年版 再版
- ^ 東京商科大学一覧 昭和10年度
- ^ 春原昭彦「上智大学から見た「新聞学科」の歴史」Journalism & Media No.14 March 2020
- ^ 福田徳三先生の追憶書籍福田徳三先生記念会、1960年