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近藤重勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
近藤 重勝
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文22年(1553年
死没 慶長9年1月24日1604年2月23日
別名 源吾、四郎右衛門、織部佐(通称)
主君 万見重元堀秀政親良鶴千代
越後蔵王堂藩家老
氏族 近藤氏
父母 父:近藤重郷
正室:伊藤重雄の養女
養子:近藤政成
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近藤 重勝(こんどう しげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将堀氏の家臣。

近藤重郷の子として生まれる。はじめ万見重元の家臣だったが、天正6年(1578年)の伊丹城攻めの際に重元が戦死したため、堀家一門の家臣となる。天正13年(1585年)、堀秀政越前北ノ庄を与えられると、重勝も5000石を賜る。秀政の死後はその次男の親良に仕え、慶長3年(1598年)に親良が越後蔵王堂に4万石を与えられると、そのうち1万石を与えられた。

慶長9年(1604年)1月24日、52歳で死去。秀政の四男・政成が養子に迎えられて跡を継いだ。