近藤重勝
表示
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 天文22年(1553年) |
死没 | 慶長9年1月24日(1604年2月23日) |
別名 | 源吾、四郎右衛門、織部佐(通称) |
主君 | 万見重元→堀秀政→親良→鶴千代 |
藩 | 越後蔵王堂藩家老 |
氏族 | 近藤氏 |
父母 | 父:近藤重郷 |
妻 | 正室:伊藤重雄の養女 |
子 | 養子:近藤政成 |
近藤 重勝(こんどう しげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。堀氏の家臣。
近藤重郷の子として生まれる。はじめ万見重元の家臣だったが、天正6年(1578年)の伊丹城攻めの際に重元が戦死したため、堀家一門の家臣となる。天正13年(1585年)、堀秀政が越前北ノ庄を与えられると、重勝も5000石を賜る。秀政の死後はその次男の親良に仕え、慶長3年(1598年)に親良が越後蔵王堂に4万石を与えられると、そのうち1万石を与えられた。
慶長9年(1604年)1月24日、52歳で死去。秀政の四男・政成が養子に迎えられて跡を継いだ。