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通幻寂霊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

通幻寂霊(つうげん じゃくれい、元亨2年(1322年) - 明徳2年/元中8年5月5日1391年6月7日))は、南北朝時代曹洞宗の僧。俗姓は藤原氏は寂霊。道号は通幻。

概要

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出身地には諸説あり、豊後国國東郷(国東郡)武蔵郷(現・大分県国東市国東町治郎丸)とするもの[1]や、因幡国岩井郡[2]などがある。

17歳で豊後国大光寺(現・大分県国東市国見町竹田津)の定山祖禅について出家し、翌年大宰府戒壇院で受戒している。1340年加賀国大乗寺明峰素哲に、1352年能登国總持寺峨山韶碩に師事してその法を継いだ。1368年總持寺5世となり、1370年細川頼之の庇護を受け丹波国永澤寺を開いた。後円融天皇の勅命により洞上の僧録となり、その後再び総持寺に住した。1386年越前国に龍泉寺を開いている。通幻の門下には「通幻十哲」と呼ばれる優れた禅僧を輩出した。梅山聞本の法を嗣いだ傑堂能勝も、通幻寂霊に師事していた時期がある。

伝承

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民話「子育て幽霊」の幽霊によって育てられた赤ん坊の後身が寂霊であるとする伝承がある。

通幻寂霊の指導は厳しく、時には活埋杭(かつまいきょう)と言って、悟りを開かない僧を生き埋めにすることもあった。しかしながら、その厳しい指導によって、悟って仏道を体得する僧侶を輩出したため、通玄派は、曹洞宗の大きな勢力となって、仏道の流布、宗門の興隆をもたらした。

通幻十哲

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 日本洞上聯燈録』巻2、20頁、国立国会図書館
  2. ^ 通幻禅師”. とっとりデジタルコレクション. 2022年6月15日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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