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永光寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永光寺ようこうじ
所在地 石川県羽咋市酒井町イ11
位置 北緯36度54分46.7秒 東経136度51分3.8秒 / 北緯36.912972度 東経136.851056度 / 36.912972; 136.851056座標: 北緯36度54分46.7秒 東経136度51分3.8秒 / 北緯36.912972度 東経136.851056度 / 36.912972; 136.851056
山号 洞谷山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 正和元年(1312年
正式名 洞谷山永光禪寺
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場 第22番
文化財 瑩山紹瑾筆洞谷山置文(重要文化財)
木造徹通義介坐像、木造瑩山紹瑾坐像、木造明峰素哲坐像、木造峨山韶碩坐像、永光寺文書・典籍類 251点(県文化財)
法人番号 3220005005572 ウィキデータを編集
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永光寺(ようこうじ)は、石川県羽咋市酒井町[1]にある曹洞宗寺院。山号は洞谷山(とうこくざん)。本尊釈迦如来。能登観音霊場第13番札所。

歴史

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正和元年(1312年瑩山紹瑾の教えによって発心した酒匂氏出身の祖忍尼鹿島郡酒井保中河(現・羽咋市中川町付近)の地頭酒匂頼親の息女)とその夫・海野三郎滋野信直が檀越となり、酒井保(現・羽咋市酒井町付近)野山を施入した。夫妻の志しと霊夢に感じ入った瑩山が、翌年山中に茅屋を結んで仮の庫裡としたのが始まりだという[2]。伽藍は元亨3年(1323年)頃に整備され、元亨4年に本堂普光堂が竣工した。暦応2年(1339年)頃には、足利尊氏足利直義の発願による能登国の利生塔が境内に建立された。

応仁の乱後は後土御門天皇の勅願で再興されるが、天正7年(1579年)、兵乱で開山堂の五老峰を除いて焼失。天正10年、前田利家によって再興された。現存の伽藍は江戸時代の再建である。

伽藍

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山門を入ると、正面に法堂(本堂)、その手前右手には庫裏、書院、左手には僧堂、衆寮、鐘楼などが建ち、これらを回廊で結んでいる。法堂裏には開山堂にあたる伝燈院があり、その奥には五老峰と称する墳丘がある。五老峰とは天童如浄道元孤雲懐奘徹通義介瑩山紹瑾の5名の祖師のことで、伝燈院にはこれら5名の木像を安置し、墳丘には5名の遺品等が埋納されている。[3]

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 瑩山紹瑾筆洞谷山置文(附:瑩山紹瑾所用木印) - 鎌倉時代、瑩山紹瑾筆
    「尽未来際置文」元応元年(1319年)十二月八日、「四至堺田畠注文」元亨1321年)三年三月七日、「文書注文」元亨三年十月九日、「寄田注文」元亨三年十月九日、「山中松禁制」正中二年(1325年)五月一日、「尽未来際勤行置文」正中二年七月十八日、の六通。

県指定有形文化財

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  • 木造徹通義介坐像 - 室町時代
  • 木造瑩山紹瑾坐像 - 室町時代
  • 木造明峰素哲坐像 - 室町時代
  • 木造峨山韶碩坐像 - 室町時代
  • 永光寺文書・典籍類 251点

市指定有形文化財

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その他

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交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 能登国鹿島郡加賀領酒井村余喜村酒井
  2. ^ 『洞谷記』
  3. ^ 羽咋市歴史民俗資料館サイト内「羽咋の文化財」、2009年1月10日閲覧
  4. ^ 羽咋市歴史民俗資料館

参考資料

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外部リンク

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