永光寺
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このページ名「永光寺」は暫定的なものです。(2017年12月) |
所在地 | 石川県羽咋市酒井町イ11 |
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位置 | 北緯36度54分46.7秒 東経136度51分3.8秒 / 北緯36.912972度 東経136.851056度座標: 北緯36度54分46.7秒 東経136度51分3.8秒 / 北緯36.912972度 東経136.851056度 |
山号 | 洞谷山 |
宗旨 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 正和元年(1312年) |
正式名 | 洞谷山永光禪寺 |
札所等 | 北陸三十三ヵ所観音霊場 第22番 |
文化財 |
瑩山紹瑾筆洞谷山置文(重要文化財) 木造徹通義介坐像、木造瑩山紹瑾坐像、木造明峰素哲坐像、木造峨山韶碩坐像、永光寺文書・典籍類 251点(県文化財) |
法人番号 | 3220005005572 |
永光寺(ようこうじ)は、石川県羽咋市酒井町[1]にある曹洞宗の寺院。山号は洞谷山(とうこくざん)。本尊は釈迦如来。能登観音霊場第13番札所。
歴史
[編集]正和元年(1312年)瑩山紹瑾の教えによって発心した酒匂氏出身の祖忍尼(鹿島郡酒井保中河(現・羽咋市中川町付近)の地頭酒匂頼親の息女)とその夫・海野三郎滋野信直が檀越となり、酒井保(現・羽咋市酒井町付近)野山を施入した。夫妻の志しと霊夢に感じ入った瑩山が、翌年山中に茅屋を結んで仮の庫裡としたのが始まりだという[2]。伽藍は元亨3年(1323年)頃に整備され、元亨4年に本堂普光堂が竣工した。暦応2年(1339年)頃には、足利尊氏・足利直義の発願による能登国の利生塔が境内に建立された。
応仁の乱後は後土御門天皇の勅願で再興されるが、天正7年(1579年)、兵乱で開山堂の五老峰を除いて焼失。天正10年、前田利家によって再興された。現存の伽藍は江戸時代の再建である。
伽藍
[編集]山門を入ると、正面に法堂(本堂)、その手前右手には庫裏、書院、左手には僧堂、衆寮、鐘楼などが建ち、これらを回廊で結んでいる。法堂裏には開山堂にあたる伝燈院があり、その奥には五老峰と称する墳丘がある。五老峰とは天童如浄、道元、孤雲懐奘、徹通義介、瑩山紹瑾の5名の祖師のことで、伝燈院にはこれら5名の木像を安置し、墳丘には5名の遺品等が埋納されている。[3]
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 瑩山紹瑾筆洞谷山置文(附:瑩山紹瑾所用木印) - 鎌倉時代、瑩山紹瑾筆
県指定有形文化財
[編集]市指定有形文化財
[編集]その他
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 石川県立歴史博物館編集・発行 『永光寺の名宝』展図録、1998年