速水熊太郎
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速水 熊太郎(はやみ くまたろう、1865年6月1日(慶応元年5月8日[1])- 1904年(明治37年)10月20日[2][3][4])は、明治期の銀行家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]紀伊国牟婁郡引本浦(三重県[2]北牟婁郡引本浦、引本村[5]、引本町[3][4]大字引本浦[1]、海山町を経て現紀北町)で、質屋[6]の家に生まれる。普通学を修めた[2]。
戸長、引本浦区会議員、引本町会議員、北牟婁郡参事会員、三重県会議員を務めた[2][3][4]。実業界では、紀北商業銀行頭取、三重県農工銀行監査役に在任した[2][3][4][6]。
1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(三重県郡部、無所属)で初当選し[7]、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙(三重県郡部、無所属)でも再選され[7]、衆議院議員に連続2期在任[2][3]。議員在任中の1904年10月に死去した[8]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『三重評論』第3号、三重評論社、1904年1月。