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連合国軍動静公表事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最高裁判所判例
事件名 昭和二五年政令第三二五号違反
事件番号 昭和27(あ)669
1953年(昭和28年)12月16日
判例集 刑集第7巻12号2457頁
裁判要旨
昭和二〇年九月一〇日付連合国最高司令官の「言論及ビ新聞ノ自由」と題する覚書第三項のうち「公式ニ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静」を「論議スルコト」を禁止する部分についての昭和二五年政令第三二五号違反の罪は、講和条約発効後においては、刑の廃止があつたものとして免訴すべきである。
大法廷
裁判長 田中耕太郎
陪席裁判官 霜山精一井上登栗山茂真野毅小谷勝重島保斎藤悠輔藤田八郎河村又介谷村唯一郎小林俊三本村善太郎入江俊郎
意見
多数意見 井上登、真野毅、小谷勝重、島保、藤田八郎、河村又介、谷村唯一郎、小林俊三、入江俊郎
意見 栗山茂
反対意見 田中耕太郎、霜山精一、斎藤悠輔、本村善太郎
参照法条
昭和20年勅令542号,昭和25年政令325号前文,昭和25年政令325号1条,昭和25年政令325号2条,昭和20年9月10日付連合国最高司令官覚書「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル件」,刑訴法337条2号,刑訴法411条5号,昭和27年法律81号,昭和27年法律137号2条6号,昭和27年法律137号3条1項,憲法21条,憲法39条
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連合国軍動静公表事件(れんごうこくぐんどうせいこうひょうじけん)は、連合国軍占領下の日本占領目的阻害行為処罰令(政令325号)違反とされた事件(およびその刑事訴訟[1]。刑事訴訟では、処罰令の合憲性や、日本の主権回復(占領の終了)後における扱いが争点となった。

経過

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1951年1月に神奈川県の男性Xが日本共産党中央委員会名義の「平和の為に愛国者諸君に訴う」と題した連合国軍の動静を公表する内容のビラを配布した[2]。このことが政令325号違反に問われて一審と二審(1951年10月25日)で懲役3か月の有罪を言い渡され、被告は上告した[2]

1953年12月16日最高裁判所大法廷は平和のこえ事件と同様に、政令325号及び「言論及び新聞の自由に関する覚書」を「憲法外における法的効力を有するもの」としつつ、占領終了後の占領法規の位置づけについては以下のような見解に分かれた[要出典]

  1. 政令325号は平和条約発効とともに失効したから、政令325号違反事件は犯罪後の法令により、刑が廃止された場合にあたるとして免訴とする全面的違憲免訴の立場(真野毅小谷勝重島保藤田八郎谷村唯一郎入江俊郎の意見)
  2. その政令に内実をなす最高司令官の指令を検討し、違憲であれば免訴になるとする一部免訴説の立場(井上登河村又介小林俊三の意見)
  3. 「言論及び新聞の自由に関する覚書」は日本国憲法第21条に違反しないが、本件下級審判決は罪とならない事実で有罪とした法令解釈適用があり、有罪判決を破棄して無罪判決を言い渡すべきとする無罪説の立場(栗山茂の意見)
  4. 刑事訴訟法第411条第5号は刑罰廃止の国家意思が発言された場合を指すものと解し、本件にはそれがないとして有罪判決を維持して上告棄却とする有罪説の立場(田中耕太郎霜山精一斎藤悠輔本村善太郎の意見)

本件については15人中9人が1及び2の立場を取ったことでXに免訴判決が言い渡された[要出典]

脚注

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  1. ^ 「なお後を引く 政令325号 連合国軍動静公表事件は今秋に判決 免訴 アカハタ後継紙だけ」『読売新聞読売新聞社、1953年12月16日。
  2. ^ a b 「連合国動静の論議違反 政令325号最高裁で免訴 神奈川の日共ビラ 一、二審の有罪破棄」『読売新聞』読売新聞社、1953年12月16日。

関連項目

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