運庵普巌
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運庵普巌 | |
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紹興26年 - 宝慶2年8月4日 (1156年 - 1226年8月28日) | |
生地 | 明州(浙江省寧波市) |
没地 | 安吉州道場山(浙江省湖州市) |
宗派 | 臨済宗松源派 |
寺院 |
運庵、大聖普照禅院 光考寺、護聖万寿禅寺 |
師 | 松源崇嶽 |
弟子 | 虚堂智愚、石帆惟衍 |
著作 | 運庵普巌禅師語録 |
運庵普巌(うんあん ふがん)は、南宋時代に華中東部で活動した臨済宗松源派の禅僧。松源下2世。
生涯
[編集]浙東の明州で生まれる。俗姓は杜氏、字は少瞻。出家の後、石鼓希夷と無用浄全の許で修業し、淳熙11年(1184年)に平江府の澄照禅院の松源崇嶽に参禅した。松源崇嶽に従い常州の報恩光孝寺・無為県冶父山の実際禅院へ移り、18年ぶりに大悟してその法を継いだ。
嘉泰2年(1202年)、兄が故郷の明州に建立した運庵に移る。開禧2年(1206年)、鎮江府の大聖普照禅院の住持となる。以後、真州の光孝寺さらに安吉州の道場山護聖万寿禅寺に歴住。
宝慶2年8月4日(1226年8月28日)寂。その語録として運庵普巌禅師語録が編まれた。虚堂智愚及び石帆惟衍がその法を嗣いだ。
参考文献
[編集]- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p1062 1985年
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