達川実
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1952年8月16日(72歳) | |||
出身地 | 大阪府大阪市 | |||
ラテン文字 | Minoru Tatsukawa | |||
血液型 | AB型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 高知中央高等学校 | |||
役職 | 女子バレーボール部総監督 |
達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、日本のバレーボール指導者。
来歴
[編集]大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高等学校時代には第1回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)に出場[1]。
大阪商業大学を経て1975年にユニチカに入社。同社女子バレーボール部(1991年よりユニチカ・フェニックス)コーチに就任した[2]。
1992年、バルセロナオリンピックで全日本女子代表のコーチを務めた[3]。
1995年、吉田国昭の後任としてユニチカ・フェニックス監督に就任。就任1年目にして第2回Vリーグ優勝に導く。
2000年、ユニチカ・フェニックス廃部に伴い、東レアローズに全体移籍。引き続き監督を務める。
2005年、10チーム中8位と低迷し、監督を退任。後任に菅野幸一郎が就き、自身は副部長に就任した。
2006年、監督の半田国治の定年退職による退任で後任を探していたデンソーエアリービーズの監督に就任。デンソーが東レと折衝を行った結果、ライバルチームへの移籍が実現した[3]。
2008年、2007-08プレミアリーグ準優勝、第57回黒鷲旗大会優勝に導く。バレーボール日本女子代表の監督最終候補にも挙がった[4]。
2010年、平成22年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝に導く。
2013年5月、デンソーを定年退職し監督を退任。
2021年、高知中央高等学校女子バレーボール部監督に就任[2]。8年ぶりの現場復帰となった。
2024年、高知中央高等学校女子バレーボール部監督を勇退し、総監督に就任した[5]。
監督としての戦績
[編集]- Vリーグ・Vプレミアリーグ
- 優勝 1回(1995年 第2回 - ユニチカ)
- 準優勝 2回(2003年 第10回 - 東レ、2007-08プレミアリーグ - デンソー)
- 黒鷲旗大会
- 優勝 1回(2008年第57回大会 - デンソー)
- 天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
- 優勝 1回(2010年 - デンソー)
人物
[編集]実子の達川和彦もバレーボール指導者[6]。2024年まで日立Astemoリヴァーレのコーチを務めた[7]。
参考文献
[編集]- 月刊バレーボール 2008年1月号臨時増刊 45-46ページ
脚注
[編集]- ^ “春高バレー高知決勝 元Vリーグ監督の名将対決は、高知中央の達川監督に軍配”. バレーボールマガジン. 2024年11月24日閲覧。
- ^ a b 日本スポーツ企画出版社. ““東洋の魔女“の系譜を引き継ぐ名将、達川実が8年ぶりの現場で感じた女子高バレーの現実と未来”. 2021年3月18日閲覧。
- ^ a b “デンソー、女子バレーボール部の新監督に達川実氏を招聘”. デンソー (2006年5月11日). 2024年11月24日閲覧。
- ^ スポーツナビ|真鍋氏がバレー女子監督に プレミアリーグの支持高く
- ^ “女子バレーボール高知中央高校の達川実監督が勇退”. バレーボールマガジン. 2024年3月9日閲覧。
- ^ “達川和彦コーチ来校”. www.kochi-chuo.ed.jp. 2024年11月22日閲覧。
- ^ “スタッフの退団について:Astemoリヴァーレ茨城”. Astemoリヴァーレ茨城. 2024年11月22日閲覧。