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達川実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
達川 実
Minoru Tatsukawa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1952-08-16) 1952年8月16日(72歳)
出身地 日本の旗 大阪府大阪市
ラテン文字 Minoru Tatsukawa
血液型 AB型
選手情報
所属 高知中央高等学校
役職 女子バレーボール部総監督
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達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、日本バレーボール指導者。

来歴

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大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高等学校時代には第1回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)に出場[1]

大阪商業大学を経て1975年にユニチカに入社。同社女子バレーボール部(1991年よりユニチカ・フェニックス)コーチに就任した[2]

1992年バルセロナオリンピック全日本女子代表のコーチを務めた[3]

1995年吉田国昭の後任としてユニチカ・フェニックス監督に就任。就任1年目にして第2回Vリーグ優勝に導く。

2000年、ユニチカ・フェニックス廃部に伴い、東レアローズに全体移籍。引き続き監督を務める。

2005年、10チーム中8位と低迷し、監督を退任。後任に菅野幸一郎が就き、自身は副部長に就任した。

2006年、監督の半田国治の定年退職による退任で後任を探していたデンソーエアリービーズの監督に就任。デンソーが東レと折衝を行った結果、ライバルチームへの移籍が実現した[3]

2008年2007-08プレミアリーグ準優勝、第57回黒鷲旗大会優勝に導く。バレーボール日本女子代表の監督最終候補にも挙がった[4]

2010年平成22年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝に導く。

2013年5月、デンソーを定年退職し監督を退任。

2021年高知中央高等学校女子バレーボール部監督に就任[2]。8年ぶりの現場復帰となった。

2024年、高知中央高等学校女子バレーボール部監督を勇退し、総監督に就任した[5]

監督としての戦績

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人物

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実子の達川和彦もバレーボール指導者[6]。2024年まで日立Astemoリヴァーレのコーチを務めた[7]

参考文献

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  • 月刊バレーボール 2008年1月号臨時増刊 45-46ページ

脚注

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  1. ^ 春高バレー高知決勝 元Vリーグ監督の名将対決は、高知中央の達川監督に軍配”. バレーボールマガジン. 2024年11月24日閲覧。
  2. ^ a b 日本スポーツ企画出版社. ““東洋の魔女“の系譜を引き継ぐ名将、達川実が8年ぶりの現場で感じた女子高バレーの現実と未来”. 2021年3月18日閲覧。
  3. ^ a b デンソー、女子バレーボール部の新監督に達川実氏を招聘”. デンソー (2006年5月11日). 2024年11月24日閲覧。
  4. ^ スポーツナビ|真鍋氏がバレー女子監督に プレミアリーグの支持高く
  5. ^ 女子バレーボール高知中央高校の達川実監督が勇退”. バレーボールマガジン. 2024年3月9日閲覧。
  6. ^ 達川和彦コーチ来校”. www.kochi-chuo.ed.jp. 2024年11月22日閲覧。
  7. ^ スタッフの退団について:Astemoリヴァーレ茨城”. Astemoリヴァーレ茨城. 2024年11月22日閲覧。

外部リンク

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