遠山信一郎
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遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日[1] - 1979年6月14日)は、日本の内務官僚。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]千葉県印旛郡八街村(現・八街市)生まれ[1]。第四高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科卒業[2][3]。
内務官僚として
[編集]1920年 内務省に入省。長野県配属[2]。1931年 静岡県内務部地方課長[4]。1932年3月 富山県学務部長[5]。学務部長という職にありながら農村報徳運動の普及に力をそそぎ、飛行場建設にも幹事長として重要な役割を果たし、影のプロモーターといわれた[6]。富山県新興報徳社など各地の報徳社の設置にも携わる[7]。1935年1月18日 埼玉県経済部長[8][9]。なお、1936年2月26日から1941年2月27日まで大日本報徳社の参事を兼ねており[7]、1936年12月26日に設立された報徳経済学研究会では実行委員を務めていた[7]。1937年7月 北海道経済部長[10]。1937年8月9日より大日本振興報徳会の顧問を兼ねており[7]、1939年1月には北海道振興報徳会を創設した[7]。1941年1月8日 岩手県総務部長を最後に内務省を退官[11]。
退官後
[編集]1941年2月25日から1948年2月25日まで大日本報徳社の監事を務めた[7]。1949年6月1日 地方自治庁次長。1955年9月20日 地方財政審議会委員(〜1967年10月12日)[3][12]。1979年6月14日 急性肺炎のため鎌倉市の病院で死去。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[13]
脚注
[編集]- ^ a b 『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年、と15頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、228頁
- ^ a b 第23回国会 参議院 議院運営委員会 第6号
- ^ 岡本博『二宮尊徳の政道論序説:報徳書獺祭記』岩田書院、2004年発行、58頁
- ^ 『明治・大正・昭和の鄉土史,第18巻』昌平社、1982年、111頁
- ^ 『富山県の昭和史』北日本新聞、1991年2月発行、54頁
- ^ a b c d e f 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に――(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38号、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、275頁。
- ^ 宇野俊一『近代日本の政治と地域社会』国書刊行会、1996年1月1日発行、153頁
- ^ 『新編埼玉県史:近代・現代』1979年発行、20頁
- ^ 『埼玉県の百年』山川出版社、1990年、2頁
- ^ 『部長級異動は50余名 退職者3名』朝日新聞 1941年1月7日 朝刊、1頁
- ^ 第57回国会 参議院 議院運営委員会 第2号
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
関連項目
[編集]官職 | ||
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先代 新設 |
地方自治庁次長 1949年 - 1950年 |
次代 荻田保 |