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遠戸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠戸島

遠戸島の空中写真。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(2008年9月8日撮影)
所在地 日本の旗 日本 愛媛県宇和島市
所在海域 宇和海
所属諸島 宇和海諸島
座標 北緯33度11分04秒 東経132度22分16秒 / 北緯33.18444度 東経132.37111度 / 33.18444; 132.37111
面積 0.17 km²
海岸線長 2.4 km
最高標高 124.0 m
遠戸島の位置(愛媛県内)
遠戸島
遠戸島
遠戸島 (愛媛県)
遠戸島の位置(日本内)
遠戸島
遠戸島
遠戸島 (日本)
プロジェクト 地形
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遠戸島(とおどしま、とおとじま、とうどしま[1])は愛媛県の南部、宇和海にある無人島。行政区域としては宇和島市に属する。

概要

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戸島 (愛媛県)(とじま)・本浦地区の南東約1.4㎞、宇和海にある無人島。戸島の属島。江戸時代後期の絵図には「遠渡島」とあり、古くはそのように表記されていた[2]

面積0.17㎢・標高124m[3]。全域が足摺宇和海国立公園の特別地域に含まれている[4]

昭和30年代なかば頃までは、毎年、戸島から牛鬼の組立て材料とするため子どもたちが遠戸島に竹を採りにいっていた。[5](この頃までは牛鬼は毎年作りかえるのが通例であった)

1956年(昭和31年)に開拓地として戸島の本浦地区の住民11戸が入植。1959年(昭和34年)には10ヘクタールの畑が開かれていたが、1963年(昭和38年)ころからネズミ害(戸島から発生し、現在の宇和島市一帯のみならず南宇和郡沿岸部にまで及んだ、いわゆる「ねずみ騒動」)がひどく、結局、1965年(昭和40年)には放棄し全住民が本浦に戻った。1972年(昭和47年)には宇和海村[6]が取得、観光開発の話もあったが実現はしていない。

島内にはが多い[7]といわれ、戸島の住民もあまり近づかないという。[要出典]

脚注

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  1. ^ 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』や愛媛新聞社『愛媛県百科大辞典』では「とうどしま」としている。
  2. ^ 戸島も古くは「渡島」と記されていた。
  3. ^ 127mとするものもあるが、地形図上では124m。
  4. ^ 環境省による公園全域のマップ https://www.env.go.jp/park/common/data/25_ashizuri_map_j.pdf
  5. ^ 愛媛県生涯学習センター「えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)」 の第1章 地域社会と子どもたち>第2節 海辺の子どもたち1>島の子どもたち>(3)宇和島市戸島>ア 子ども牛鬼 より https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/16/view/2535
  6. ^ 宇和海村(うわうみむら)は1958年(昭和33年)4月に蒋淵半島(三浦半島とも呼ばれる)や戸島を含む沖合の離島の5か村が合併し成立した自治体で、1974年(昭和49年)4月に宇和島市に編入合併された。
  7. ^ ネズミの駆除のため放たれた蛇が生息しているためともいわれる

参考文献

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  • 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』1981年
  • 愛媛新聞社『愛媛県百科大辞典』1985年

関連項目

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外部リンク

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