遠藤為春
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遠藤 為春(えんどう いしゅん、明治14年(1881年)10月26日 - 昭和44年(1969年)2月6日)は、日本の歌舞伎研究家。
来歴
[編集]東京市日本橋馬喰町出身[1][2]。東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業[1]。1908年三菱銀行入行[2]。1911年歌舞伎座入社[1]。
1914年には自宅の庭にあった演舞館を三渓園の入口に移築し、横浜演舞館とした[3]。
家業の柏木運送店専務を務めた他[4]、1915年松竹理事。1937年松竹取締役[2]。
第二次世界大戦後は、松竹演劇部相談役や新橋演舞場常務などを務めた。また、評論、随筆などを執筆した[1][2]。
1964年藍綬褒章受章[5]。1968年勲四等瑞宝章受章[6]。1969年死去。一乗寺で葬儀が行われた[7]。本名は弥市[1]。幼名道太郎[4]。
親族
[編集]実家は日本橋馬喰町の旅館山城屋[8]。妻の貞子は、第二期歌舞伎座建設を指揮した横浜の運送業者柏木多七の娘[4][9]。
共著
[編集]- 『助六由縁江戸桜の型』劇文社 1925年
- 『名優当り芸芝居の型』クレス出版 1997年
- 『歌舞伎座を彩った名優たち : 遠藤為春座談』雄山閣 2010年
脚注
[編集]- ^ a b c d e 「遠藤為春」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2024年4月5日閲覧。
- ^ a b c d 「遠藤 為春」『20世紀日本人名事典』 。コトバンクより2024年4月5日閲覧。
- ^ 第八章・本牧地区 - 横浜市横浜市
- ^ a b c 人事興信録 10版(昭和9年) 上
- ^ 官報昭和39年本紙第11364号 18頁
- ^ 演劇界 27(1) 雑誌 (演劇出版社, 1969-01)
- ^ 演劇界 27(3) 雑誌 (演劇出版社, 1969-03)
- ^ 演劇界 23(3) 雑誌 (演劇出版社, 1965-03)
- ^ 建て替え進む歌舞伎座、昔はこんな建物だった日経XTeck2012.10.01