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那古野神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
那古野神社

拝殿
所在地 愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3-17
位置 北緯35度10分38.7秒 東経136度53分59.1秒 / 北緯35.177417度 東経136.899750度 / 35.177417; 136.899750座標: 北緯35度10分38.7秒 東経136度53分59.1秒 / 北緯35.177417度 東経136.899750度 / 35.177417; 136.899750
主祭神 須佐之男神奇稲田姫神、八柱神、兵主神
社格県社
創建 延喜11年(911年
例祭 天王祭
地図
那古野神社の位置(愛知県内)
那古野神社
那古野神社
那古野神社の位置(名古屋市内)
那古野神社
那古野神社
地図
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江戸時代には亀尾天王社と呼ばれていた那古野神社(『尾張名所図会. 前編 巻1 愛智郡』より「亀尾天王社」)

那古野神社(なごやじんじゃ[1])は、愛知県名古屋市中区丸の内にある神社。旧社格県社。西隣りに名古屋東照宮が鎮座している。

歴史

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創建は延喜11年(911年)3月16日、醍醐天皇の勅命で八王子社や若宮八幡社の隣に建立されたと伝わっている[2]

津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつであった[2]。つまり創建時、当社の祭神は牛頭天王であった。

天文元年(1532年)、織田信秀今川氏豊から那古野城を奪う際に合戦となり、それに巻き込まれて社殿を焼失したが[3]天文8年(1540年)に信秀により再建されている[3]。また、後には別当寺である亀尾山安養寺(天王坊)も隣に建立されている。

文禄4年(1595年)、豊臣秀吉により社領348石が寄進される[4]

慶長15年(1610年)、徳川家康によって那古野城の地に名古屋城が築城される際、当社も隣接するふたつの社も名古屋城内に入ってしまう為、家康が御神籤でもって神意を伺ったところ、当社については遷座不可(移転してはいけない)と出たため、そのままの場所に止め置かれることになり、結果として二之丸大手二之門の正面となる三之丸の地に鎮座する形になり、名古屋城の総鎮守名古屋氏神として祀られた[5]。境内には別当寺として真言宗の亀尾山安養寺(天王坊)もあった為、当社は一般に亀尾天王社と呼ばれるようになった。なお、三之丸天王社と呼ばれることもあった[6]

一方、神籤の結果、隣接していた八王子社(現在の八王子神社春日神社)は現在の北区清水に移転され、若宮八幡社も現在の中区に移転された[2]

元和5年(1619年)、当社の西隣に東照宮(現在の名古屋東照宮)が建立されている。

元和6年(1620年)、尾張藩徳川義直が改めて348石の社領を認め、社殿を修造している[4]寛永6年(1629年)には義直によって摂社・兵主社が建立された。

明治時代になると神仏分離によって祭神を牛頭天王から須佐之男命に代え、社名も須佐之男神社と改称した。

1871年(明治4年)には社領を没収され、安養寺も破却されている。

1876年(明治9年)、名古屋鎮台が城内に置かれることとなり、東照宮と共に旧藩校明倫堂跡地である現在地に移転された[2]。また、摂社・兵主社は本殿に合祀されている。

1899年(明治32年)に、須佐之男神社から那古野神社へと改称する。1900年(明治33年)には能舞台兼用の神楽殿が建てられて月次能が催されるなどしたという[7]1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進社に指定される。

太平洋戦争中の1945年昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で本殿が焼失した[8]が、1959年(昭和34年)には大方再建された。なお、前述の神楽殿は戦災を免れたが1992年平成4年)に火災で焼失している[7]

逸話

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信長公記』首巻に織田信長は天王坊という寺で学問をしたという記述があり、これは当時天王社の別当寺として天王坊と号していた安養寺のことを指しているとされる[9][10]

祭神

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境内

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  • 本殿 - 1954年昭和29年)再建。
  • 拝殿 - 1957年(昭和32年)再建。
  • 社務所 - 1959年(昭和34年)再建。
  • 祝詞殿 - 1954年(昭和29年)再建。

摂末社

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例祭

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江戸時代では、例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に若宮祭とは同日であった(現在は別の日)ことから祇園祭と総称された。車楽(だんじり)2両と見舞車10数両が曳き出され賑やかなものであったが空襲で車楽などの大半が失われ[3]、現在では車楽1両が境内に飾られるほか、若宮八幡社への神輿渡御が行われる[11]

また、5月16日の若宮祭では、かつて隣接していた若宮八幡社の山車1両と神輿が、当神社との間を往復する。

主な年中行事

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  • 朮火祭 - 正月1日
  • 例祭(天王祭) - 7月15日、16日

交通

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脚注

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  1. ^ 那古野神社 - 名古屋神社ガイド
  2. ^ a b c d 江戸時代の名古屋城下「亀尾天王社(那古野神社)」”. Network 2010 (2011年12月3日). 2014年1月14日閲覧。
  3. ^ a b c 那古野神社について”. 旅に行き隊! (2013年12月5日). 2014年1月14日閲覧。
  4. ^ a b 現地案内板より
  5. ^ こまいぬ、那古野(なごや)神社
  6. ^ [1]
  7. ^ a b 林、2007年、pp.94
  8. ^ インターネット戦争資料展 愛知県における空襲の概況・名古屋市 (5/8)”. 愛知県 (2012年3月5日). 2014年1月14日閲覧。
  9. ^ 尾張名所図会 亀尾山安養寺
  10. ^ 貧乏だった幼少期、信長の心の隙間を埋めた「大蛇信仰」
  11. ^ 那古野神社天王祭”. 愛知県観光ガイド. 2014年1月14日閲覧。

参考文献

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  • 林和利『なごやと能・狂言:洗練された芸の源を探る』風媒社、2007年。ISBN 978-4-8331-0623-8 
  • 『尾張名所図会』 第一巻 東照宮 御宮、亀尾天王社1844年

外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、那古野神社に関するカテゴリがあります。