那沙美 (敷設艇)
那沙美 | |
---|---|
新造時の「那沙美」(1934年、呉)[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 播磨造船所[2][3] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | (二等敷設艇[4] →) 敷設艇[5] |
級名 | (夏島型) |
建造費 | 当初予算 1,235,000円[6] |
母港 | 呉[7][8] |
艦歴 | |
計画 | 昭和6年度(1931年)[9]、①計画[10] |
起工 | 1933年1月19日[2][11] |
進水 | 1934年3月26日[2][11] |
竣工 | 1934年9月20日[2] |
最期 | 1944年4月1日沈没[7] |
除籍 | 1944年4月30日[12] |
要目(排水量、吃水以外は計画) | |
基準排水量 | 計画 450.00英トン[13] |
公試排水量 |
計画 510トン[13] 実際 670.31トン(防潜網を搭載した場合)[14] 実際 722.41トン(防潜網を搭載しない場合)[14][15] |
満載排水量 |
計画 615.50トン[13] 実際 721.51トン(防潜網を搭載した場合)[14] 実際 773.61トン(防潜網を搭載しない場合)[14] |
全長 | 73.00m[13] |
水線長 | 70.00m[13] |
垂線間長 | 67.00m[13] |
最大幅 | 8.00m[13] または7.50m[16] |
深さ | 4.30m[13] |
吃水 |
計画公試 1.90m[13] 実際(防潜網を搭載した場合) 公試 2.850m[14] 満載 2.970m[14] 実際(防潜網を搭載しない場合) 公試 2.973m[14] 満載 3.100m[14] (実際の吃水はバラストキールを含む) |
ボイラー | ロ号艦本式混焼缶 2基[17] |
主機 | 直立3段3筒レシプロ2基[17] |
推進 |
2軸 x 325rpm[17] 直径1.850m、ピッチ2.170m[18] |
出力 | 2,300馬力[13] |
速力 | 19.0ノット[13] |
燃料 |
重油:19トン、石炭:44トン[13](機雷搭載の場合) 重油:38トン、石炭:74トン[13](防潜網搭載の場合[19]) |
航続距離 |
1,500カイリ / 12ノット[13](機雷搭載の場合) 2,500カイリ / 12ノット[13](防潜網搭載の場合) または 2,500カイリ / 14ノット[16] |
乗員 |
竣工時定員 74名[20][9] 1938年 94名[21] |
兵装 |
8cm単装高角砲 2門[22] 13mm単装機銃 1挺[22] 八一式投射機2基、爆雷装填台2台[23]、爆雷投下台6基[9] 八九式機雷 120個[23] または爆雷18個、一四式防戦網1組、四号大掃海具1組(機雷を搭載しない場合)[23] |
搭載艇 | 6m内火艇1隻、6mカッター2隻、6m通船1隻[24] |
那沙美(なさみ)は、日本海軍の敷設艇。夏島型敷設艇の3番艇[4]。
那沙美の名は広島湾北部に大那沙美島・小那沙美島があり、明治時代の雑役船に「那沙美丸」の名もあった[25]。海上自衛隊の掃海母艇「なさみ」は水道名になる[25]。
艦歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
①計画艦[10]。命名前の仮称は「第三號敷設艇」[26]。1932年(昭和7年)12月10日「那沙美」と命名[3]、同日二等敷設艇に登録[4]。1933年(昭和8年)1月19日播磨造船所で起工[2][11]。同年5月23日に敷設艇の等級が廃止され、類別は(等級無しの)敷設艇に改められた[5]。1934年(昭和9年)3月26日進水[2][11]。建造中に起きた友鶴事件のため、復元性能改善工事を実施[27]。当初の竣工予定は7月31日だったが50日遅れ[28]、9月20日に竣工した[2]。呉鎮守府籍、呉防備隊所属(1936年時)[8]。
1935年(昭和10年)7月、小豆島沖合で大阪商船「緑丸」沈没。多くの行方不明者、犠牲者を出したことから、白鷹など5隻とともに捜索活動に出動[29]。
1938年(昭和13年)から翌年、支那事変、中支方面作戦に参加する [30]。
太平洋戦争開戦時は佐伯防備隊に所属し[31]同方面の対潜哨戒、機雷敷設、船団護衛などに従事[7]。
1943年(昭和18年)4月1日鎮海警備府に派遣、大連・旅順を基地に同方面での船団護衛や機雷敷設などに従事する[7]。同年11月1日、所属を佐伯防備隊から第八根拠地隊に変更[32]。11月に呉で整備を行い、12月19日横須賀を出港、船団護衛を行いサイパン経由で12月31日トラック入港[7]。以後ラバウルに進出し同方面で船団護衛に従事する[7]。
1944年(昭和19年)2月1日に類別等級が(特務艇の)敷設艇から(艦艇の)敷設艇に移り[33]、改めて呉鎮守府籍となる[34]。 同年4月1日、ラバウルで敵機約140機の攻撃を受け沈没した[7]。4月30日艦艇類別等級表から削除[35]、同日附で除籍された[12]。
艇長
[編集]- 艤装員長
- 吉井五郎 大尉:1934年4月20日[36] -
同型艇
[編集]参考文献
[編集]- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 『世界の艦船増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年2月、ISBN 4-905551-55-2。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4。
- 「敷設艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『公文備考 昭和9年 F 艦船 巻1/第89号 8.1.17 仮称第3号敷設艇工事概括表の件』。Ref.C05023515000。
- 『公文備考 昭和9年 F 艦船 巻1/第1677号 9.7.17 敷設艇那沙工事概括表変更認許の件』。Ref.C05023515200。
- 『昭和18年8月~12月 内令/昭和18年11月(1)』。Ref.C12070189600。
- 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年2月(1)』。Ref.C12070194400。
- 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年4月(2)』。Ref.C12070195100。
- 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。Ref.C13071969000。
- 『昭和16年12月31日現在 10版 内令提要追録第10号原稿巻2,3/巻3 追録/第13類 艦船(1)』。Ref.C13072003500。
脚注
[編集]- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.85
- ^ a b c d e f g #S11.12.1内令提要原稿/機密保護画像12、艦船要目公表範囲
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.380、昭和7年12月10日(達175)『艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇二隻ニ左ノ通命名ス
驅逐艦
浦賀船渠株式會社ニ於テ建造
初霜 株式會社川崎造船所ニ於テ建造有明 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造夕暮 潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦 水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造友鶴 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造初雁 掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇 三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇 敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造猿島 株式會社播磨造船所ニ於テ建造那沙美 』 - ^ a b c 昭和7年12月10日付 海軍内令 第413号。(特務艇類別等級別表敷設艇二等ノ項中「夏島」ノ下ニ「、猿島、那沙美」ヲ加フ)
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.109、昭和8年5月23日(内令190)
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.407
- ^ a b c d e f g 伊達久「『敷設艇・電纜敷設艇』行動年表」#写真日本の軍艦第14巻p.106
- ^ a b #S11.12.1内令提要原稿/艦船画像14、特務艇本籍及所属
- ^ a b c #日本海軍護衛艦艇史(1996)pp.86-87
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1p.411
- ^ a b c d #S9公文備考F艦船1/9.7.17那沙美工事概括表画像4、敷設艇那沙美工事概括表(変更)、昭和9年6月14日
- ^ a b #自S19.1至S19.7内令/昭和19年4月(2)画像30-33、昭和19年4月30日附内令第602号『呉鎮守府在籍 敷設艇 那沙美 敷設艇 夏島 右帝國敷設艇籍ヨリ除カル』(妙録)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o #一般計画要領書(敷設艇)p.2
- ^ a b c d e f g h #一般計画要領書(敷設艇)p.36、那沙美復元性能
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.36、那沙美重量比較表
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)p.654
- ^ a b c #一般計画要領書(敷設艇)p.20
- ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1716
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.36の註「2) 括弧内ハ防潜網搭載セル場合ノモノヲ示ス」
- ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.884-885、昭和9年2月10日(内令55)「敷設艇夏島、那沙美乗員標準」。士官1人、特務士官2人、下士官20人、兵51人。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.5
- ^ a b c #一般計画要領書(敷設艇)p.8
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.26
- ^ a b #銘銘伝2014p.545
- ^ #S9公文備考F艦船1/8.1.17仮称第3号敷設艇工事概括表画像2
- ^ 解説・東清二、作図・石橋孝夫「図で見る『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』変遷史」夏島型#写真日本の軍艦第14巻pp.92-93
- ^ #S9公文備考F艦船1/9.7.17那沙美工事概括表画像2、昭和9年7月17日官房機密第1677号の2、主なる変更
- ^ 救助百四十六人、死者不明八十六人『大阪毎日新聞』昭和10年7月4日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p91-92 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.30
- ^ #S16.12.31内令提要原稿巻2,3/艦船(1)画像22、特務艇の本籍及所属
- ^ #S18.8-12内令/昭和18年11月(1)画像45-46
- ^ #自S19.1至S19.7内令/昭和19年2月(1)画像1『内令第二百七十一號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 驅潜艇ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 敷設艇 | | |燕、鴎、夏島、猿島、那沙美| | 敷設艇 | |測天型 | 測天、白神、巨済、成生、石埼、鷹島、済州、荒井埼、由利島、怒和島、前島 |』
- ^ #自S19.1至S19.7内令/昭和19年2月(1)画像35-38、昭和19年2月1日内令第280号
- ^ #自S19.1至S19.7内令/昭和19年4月(2)画像27、昭和19年4月30日附内令第597号
- ^ 『官報』第2189号、昭和9年4月21日。