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那須資親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
那須資親
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 永正11年(1514年)?
官位 播磨大膳大夫[1]
氏族 那須氏(上那須家)
父母 父:那須氏資
兄弟 明資資親上川井資威宇都宮等綱
山田資久宇都宮成綱正室[1]那須資永室、沢村三郎[1]
養子:資永結城政朝(義永)次男)
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那須 資親(なす すけちか)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将那須氏(上那須家)15代当主。

那須氏13代当主・那須氏資の子として誕生。

下野国の大半及び常陸国の一部を領している戦国大名下野宇都宮氏17代当主・宇都宮成綱と婚姻関係を結び、また陸奥国南部の白河結城氏8代当主・結城政朝(義永)の次男・資永を養子に迎え、後継者とすることで上那須家の地位の安泰化を図った。

しかし、晩年に実子・山田資久が誕生したことを契機に後継者争いが勃発[2]、資親の死後まもなく上那須家は断絶、滅亡することになる。

脚注

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  1. ^ a b c 『那須系図』
  2. ^ 大日本史料』第9編之6 316頁

出典

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  • 『那須系図』