郡頭神社
郡頭神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 高知県高知市鴨部上町5番8号 |
位置 | 北緯33度33分6.80秒 東経133度29分56.93秒 / 北緯33.5518889度 東経133.4991472度座標: 北緯33度33分6.80秒 東経133度29分56.93秒 / 北緯33.5518889度 東経133.4991472度 |
主祭神 | 大國主神 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
例祭 | 11月22日 |
郡頭神社(こおりずじんじゃ[1])は、高知県高知市鴨部上町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
祭神
[編集]祭神は次の1柱[1]。
歴史
[編集]創建
[編集]創建は不詳[2]。『続日本紀』神護景雲2年(768年)11月18日条では、「土左国土左郡人神依田公名代」ら41人に「賀茂」姓を賜うと見えるが、この「神依田」は付近の地名「神田(こうだ)」を指すといわれる[2]。また、『新撰姓氏録』摂津国神別 地祇 鴨部祝条には「鴨部祝。賀茂朝臣同祖。大国主神之後也」と見える[2]。これらの記事から、鴨部一帯に居住した鴨氏・鴨部氏(賀茂氏の部民)が、祖先神として大国主命を祀ったのが当社の創祀といわれる[2][3]。
なお、当社一帯は『和名抄』の土佐郡鴨部郷に比定される[2]。この鴨部郷一帯の開発は古墳時代と見られ、6世紀頃には原始祭祀があったものと推測される[2]。その後の鴨部郷の繁栄の様子は、『東大寺文書』の天平勝宝4年(752年)造寺司牒において土佐郡鴨部郷から50戸が東大寺の封戸とされたことに見られる[2]。
社名「郡頭」については、土佐国諸郡の頭にあたる土佐郡に鎮座するためとする説、郡の頭たる土佐郡家が鴨部郷にあったとの推測に基づく説、地名「神田」に由来するとする説があるが明らかではない[2]。
概史
[編集]延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では土佐国土佐郡に「郡頭神社」と見え、これは当社に比定される[2]。なお、社名の読みは「コホリツノ」と振られる[2]。
その後の変遷は明らかでないが、永正元年(1504年)・寛永5年(1708年)の棟札によると、中世以降は社名を「鴨部神社」とするのが一般的になったと見られる[2]。
明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列した[1]。昭和56年(1981年)には火災で社殿を焼失したため、現在の社殿はその後の再建になる[1]。
摂末社
[編集]- 荒神社・八幡宮合祀社
祭事
[編集]- 歳旦祭 (1月1日)[4]
- 祈年祭 (旧暦1月22日)
- 大祓式・夏越祭 (6月30日)
- 夏祭 (7月21日)
- 例大祭 (11月22日)
- 大祓式・除夜祭 (12月31日)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板
- 明治神社誌料編纂所 編「郡頭神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)432コマ参照。
- 「郡頭神社」『日本歴史地名大系 40 高知県の地名』平凡社、1983年。ISBN 978-4582490404。
- 山本大 著「郡頭神社」、式内社研究会 編『式内社調査報告 第9巻』皇學館大学出版部、1987年。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、郡頭神社に関するカテゴリがあります。