郭若石
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ヨセフ郭若石 Joseph Kuo Jo-shih | |
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カトリック台北大司教 | |
教会 | カトリック教会 |
大司教区 | 台北 |
司教区 | 台北 |
着座 | 1952年8月7日 |
離任 | 1959年10月19日(引退) |
後任 | 田耕莘 |
聖職 | |
司祭叙階 | 1932年 12月28日 |
司教叙階 | 1952年10月26日 |
個人情報 | |
出生 |
1906年2月11日 清 河北省藁城県 |
死去 |
1995年12月18日 台北市 |
座右の銘 |
Da Mihi Animas 我に魂を与えたまえ |
郭 若石(かく じゃくせき、1906年2月11日 – 1995年12月18日[1])は、中国および台湾のカトリック聖職者、主徒会士である。洗礼名は「ヨセフ」。初代台北教区大司教を務めた。
経歴
[編集]- 北平石門神哲学院卒業。
- 1930年 - 10月16日、主徒会において初誓願を宣立。
- 1932年 - 12月28日、チェルソ・コスタンティーニ大司教により司祭叙階。
- 1935年 – 察哈爾省宣化市 恒毅中学校長就任。
- 1937年 – 主徒会総会長就任。
- 1948年 – 聖母聖心修女会付司祭就任。
- 1949年 – 聖母聖心修女会に随行して台湾 高雄に転任。
- 1950年 – 6月13日、教皇ピウス12世により台北知牧に任命。
- 1952年 – 8月7日、台北教区大司教に任命。同年10月26日、アントニオ・リベリ教皇大使により司教叙階。
- 1959年 – 10月19日、台北大司教を引退。主徒会総会長の職に専念。
- 1967年 – カトリック中国司教団(現在の台湾地区司教団)初代団長に就任。典礼委員会主任委員を兼任し、第2バチカン公会議を受けて典礼書の翻訳、中国語による聖歌の提唱、新しい典礼の導入に注力した。
- 1995年 – 12月18日[1]、台北において死去。89歳。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]参考文献
[編集]- 《台灣天主教手冊》2012年版(中国語),台灣地區主教團秘書處 編・訳,天主教教務協進會出版社 出版
脚注
[編集]先代 (カトリック台湾使徒座知牧区より分離) |
カトリック台北使徒座知牧区 知牧 1950年‐1952年 |
次代 (カトリック台北大司教区に昇格) |
先代 (カトリック台北使徒座知牧区より昇格) |
カトリック台北大司教区 教区長 1952年‐1959年 |
次代 田耕莘(使徒座管理) |