宮崎県立都城農業高等学校
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宮崎県立都城農業高等学校 | |
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北緯31度44分25.7秒 東経131度4分52.1秒 / 北緯31.740472度 東経131.081139度座標: 北緯31度44分25.7秒 東経131度4分52.1秒 / 北緯31.740472度 東経131.081139度 | |
過去の名称 |
北諸県郡立農学校 宮崎県都城農学校 宮崎県立都城農学校 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校農業課程 宮崎県立都城都島高等学校農業課程 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県 |
設立年月日 | 1916年(大正5年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
農業科 畜産科 農業土木科 食品科学科 ライフデザイン科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D145220260123 |
高校コード | 45131C |
所在地 | 〒885-0019 |
宮崎県都城市祝吉1丁目5-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮崎県立都城農業高等学校(みやざきけんりつ みやこのじょうのうぎょうこうとうがっこう)は、宮崎県都城市祝吉一丁目に所在する公立の農業高等学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1916年(大正5年)創立の「北諸県郡立農学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となる。現校名になったのは1965年(昭和40年)。2016年(平成28年)に創立100周年を迎える。
- 校訓
- 真理を求め、正義を愛し、教養豊かな人になる。
- 個人の尊重を重んじ、自らを信ずるともに他を敬愛する人となる。
- 勤労と責任を重んじ、たくましい実践力をもつ人となる。
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は安田尚義、作曲は岡本敏明による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
沿革
[編集]- 旧制・農学校時代
- 1916年(大正5年)- 「北諸県郡立農学校」(乙種実業学校)が創立。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 翌年の郡制廃止・県立移管に備え「宮崎県都城農学校」に改称。甲種実業学校に昇格。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 「宮崎県立都城農学校」に改称(県の後に「立」が付される)。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 学制改革により閉校。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により都城市内の県立旧制中等教育学校4校が統合され、新制高等学校「宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校」が発足。
- 県立旧制中等学校4校 - 都城中学校・都城高等女学校・都城商業学校・都城農学校
- 通常制(後の全日制)普通課程・商業課程・農業課程、定時制(夜間)普通課程を有する総合制・男女共学の高等学校。
- 旧制中等学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中等学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 旧4校の併設中学校も統合され「宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校 併設中学校」となり、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 旧制中学校を「本部」、元農学校校舎を「北校舎」、元商業学校校舎を「中校舎」、元高等女学校校舎を「南校舎」とし、4校舎体制をとる。
- 高原分校(定時制農業課程)を設置。
- 7月1日 - 高城町立高城高等学校を統合し、高城分校(全日制普通課程・定時制農業課程・家庭課程)とする。
- 4月1日 - 学制改革により都城市内の県立旧制中等教育学校4校が統合され、新制高等学校「宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。高原分校を廃止(その後宮崎県立小林高等学校に移管される)。
- 4月 - 全生徒を北校舎(元農学校校舎)に集約。他の3校舎は市内の公立新制中学校[1]へ開放。
- 8月 - 再び4校舎に復帰。中校舎を都城市立祝吉中学校に開放される。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 公立高校再編により、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校から農業課程と高城分校が「宮崎県立都城都島高等学校[2]」に移管される。
- 農業課程を「北校舎」、高城分校を「高城校舎」とする。高城校舎に通常制農業課程と家庭課程被服科を設置。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 高城校舎の通常制農業課程の募集を停止。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 高城校舎が分離し宮崎県立高城高等学校として独立。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 普通課程の学級数を2クラス減じる。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 工業課程が分離し宮崎県立都城工業高等学校として独立。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 普通課程が分離し宮崎県立都城都島第二高等学校として独立。
- これに伴い本校の普通課程の募集を停止。ただし在校生が卒業するまで普通課程は存続。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 普通課程を廃止。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 「宮崎県立都城農業高等学校」(現校名)に改称。
- 1985年(昭和60年)2月23日 - 三股牧場を開設。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 食品製造科を食品科学科と改称。デザイン流通科を設置。
- 2004年(平成16年)4月1日 - デザイン流通科と生活科学科の募集を停止し、ライフデザイン科を設置。
部活動
[編集]- 運動部
- 卓球部
- 野球部 - 1971年(昭和46年)夏の甲子園大会に出場。
- バレーボール部
- バスケットボール部
- テニス部(硬式)
- ラグビー部
- サッカー部 - 1986年(昭和61年)全国高校サッカー選手権に出場。
- 剣道部
- 弓道部
- 陸上部
- ソフトボール部
- 空手道部
- 文化部
著名な出身者
[編集]交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通「農業高校前」バス停
- 最寄りの幹線道路
- 国道269号 「都城農業高校前」交差点
周辺
[編集]- 都城市立祝吉小学校
- 都城市立祝吉中学校
- 都城保健所
- 国立病院機構都城医療センター
脚注
[編集]- ^ 本部校舎(旧制中学校)は都城市立小松原中学校、 南校舎(高等女学校)は都城市立姫城中学校へ、 中校舎(元商業学校)は都城市立妻ケ丘中学校に開放された。
- ^ 1944年(昭和19年)創立の宮崎県立都城工業学校と都城市立都城女子商業学校を母体として1948年(昭和23年)の学制改革により「宮崎県立都城都島高等学校」が発足。通常制(全日制)工業課程・商業課程・普通課程、定時制工業課程・商業課程・農業課程・家庭課程を有する総合制の高等学校であった。1950年(昭和25年)に都城泉ヶ丘高等学校の農業科および高城分校が移管され、通常制農業課程となる。1955年(昭和30年)に高城校舎が宮崎県立高城高等学校として独立。1961年(昭和36年)に工業課程が分離し宮崎県立都城工業高等学校として独立。1962年(昭和37年)に普通課程が分離し宮崎県立都城都島第二高等学校として独立。1965年(昭和40年)に都城都島高等学校は宮崎県立都城農業高等学校に改称した。