都護府
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都護府(とごふ)は、中国の漢、唐王朝の時代に、辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府の長官は都護と呼ばれていた。
漢代
[編集]唐代
[編集]- 内モンゴル
- 外モンゴル
- 燕然都護府…貞観21年(647年)、鬱督軍山に設置。鉄勒諸部が唐に帰順したため、その地を分けて13の州府を置いた。
- 瀚海都護府…龍朔3年(663年)2月、燕然都護府から改称。
- 安北大都護府…総章2年(669年)8月、瀚海都護府から改称。東突厥が勢力を増すにつれ、陰山方面に移動した。
- ジュンガル盆地
- 北庭大都護府…ジュンガリア方面(シルクロードの天山北路付近)の守備。貞観14年(640年)、庭州付近のビシュバリク(現在のジムサル県北庭郷)に毗陵都護衛府を設置。長安2年(702年)、北庭都護府に改称。景龍3年(709年)、北庭大都護府となる。貞元6年(790年)11月、吐蕃に占領された。
- タリム盆地
- 安西大都護府…天山山脈の南側を通るシルクロードの天山南路(漠北路)の守備及び、突厥・吐蕃などからの防衛。貞観14年(640年)、高昌国を滅ぼして西州都護府を設置。永徽2年(651年)11月、高昌故地(西州)に安西都護府を置く。顕慶3年(658年)5月、亀茲城に移転。貞元3年(787年)、吐蕃に滅ぼされた。
- 中央アジア
- 朝鮮半島
- 熊津都督府…顕慶5年(660年)、百済を滅ぼしその旧域に設置。
- 鶏林州都督府…龍朔3年(663年)4月、新羅の版図に設置。新羅王の文武王を鶏林州大都督に任命。
- 安東都護府…総章元年(668年)9月、高句麗を滅ぼして平壌に設置。朝鮮北部および満州を支配。上元3年(676年)2月に新羅・高句麗遺民との抗争に敗退して遼陽へ後退。儀鳳2年(677年)、新城に移転。697年には大祚栄との抗争の影響で廃止されたが、神龍元年(705年)に大祚栄との和解により再び設置された。しかし、安史の乱の際に再び廃された。
- 東南アジア
- 安南都護府…ベトナムその他の南方諸国の支配。永隆2年(681年)8月、交州を安南都護府に改称。前身は、武徳5年(622年)に設置された交州大総管府(交州は、現在のハノイ付近)。阿倍仲麻呂も一時期、長官である都護を務めた。860年、863年に南詔に占領される。
六都護府
[編集]安西大都護府・北庭大都護府・安北大都護府・単于都護府・安東都護府・安南都護府を六都護府と言い、もっとも名高い[1]。