安東都護府
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朝鮮の歴史 | ||||||||||
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百済 |
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南北国 | 唐熊津都督府・安東都護府 | |||||||||
統一新羅 鶏林州都督府 676-892 |
安東都護府 668-756 |
渤海 698-926 | ||||||||
後三国 | 新羅 -935 |
後 百済 892 -936 |
後高句麗 901-918 |
遼 | 女真 | |||||
統一 王朝 |
高麗 918- | 金 | ||||||||
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元朝 | ||||||||||
高麗 1356-1392 | ||||||||||
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近代 | 日本統治時代の朝鮮 1910-1945 | |||||||||
現代 | 朝鮮人民共和国 1945 連合軍軍政期 1945-1948 | |||||||||
アメリカ占領区 | ソビエト占領区 | |||||||||
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大韓民国 1948- |
朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||||
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安東都護府(あんとうとごふ)は、唐が高句麗を滅ぼした(唐の高句麗出兵)後、現在の朝鮮半島北中部から満洲南部に相当する高句麗旧域の管理を目的に設置した統治機構。唐が高句麗と百済を滅ぼした後、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林州都督府として、半島全域を藩属国に変えて羈縻州としたため、一時的に朝鮮半島に国はなくなった。
沿革
[編集]668年(総章元年)9月、唐の高句麗出兵により高句麗が滅亡後の平壌に設置され、鴨緑江下流域及び遼東地区を管轄した。その後, 羅唐戦争が発生し新羅が唐の行政地区を侵略した結果、安東都護府は旧首都だった平壌を含む高句麗遺領の約3割を放棄し、676年(上元元年)に遼東城に移転した。697年(神功元年)、安東都護府の下部に所属する安東都督府の長として、滅亡した高句麗宝蔵王の三男の高徳武が安東都督に任じられた事もある。705年(神龍元年)、大祚栄が武周の招安を受けたことにより範囲は拡大したが、安史の乱の混乱により773年(大暦8年)頃に廃止された。
伊藤一彦は、唐の設置した安東都護府が676年遼東城に、熊津都督府は677年建安故城に移転し、新羅が支配する朝鮮半島の中・南部から唐の勢力が後を絶ったことについて、「有史以来、朝鮮半島、少なくとも北部には中国(人)の支配が直接及んでいたが、この7世紀後半に初めてそれが終わりを告げたことになる」と評している[1]。
歴代都護
[編集]- 魏哲(検校安東都護):668年 - 669年
- 薛仁貴(検校安東都護):669年 - 670年
- 屈突詮(安東都護):671年 - 672年
- 高侃(遼東州行軍総管・安東都護):672年 - 676年
- 屈突詮(安東都護):680年 - 682年
- 裴玄珪(安東都護):不明 - 696年
- 薛訥(幽州都督兼安東都護):698年 - 704年
- 唐休璟(検校幽営等州都督兼安東都護):704年 - 705年
- 薛訥(幽州都督兼安東都護):706年 - 710年
- 裴懐古(幽州都督兼安東都護):712年
- 単思敬(安東都護):713年
- 許欽湊(安東都護):714年
- 許欽澹(安東都護):714年 - 不明
- 薛泰(安東都護):720年 - 725年
- 李璬(平盧節度大使遥領安東都護):727年 - 不明
- 臧懐亮(安東都護):727年 - 不明
- 裴旻(安東都護):733年 - 不明
- 賈循(安東副大都護):742年 - 755年
- 夫蒙霊詧(安東副都護):不明 - 756年
- 王玄志(安東都護):756年 - 758年
- 侯希逸(平盧節度使兼安東都護):758年 - 761年
- 高連(安東都護):不明 - 不明
- 高震(安東都護):不明 - 773年
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脚注
[編集]- ^ 伊藤一彦『7世紀以前の中国・朝鮮関係史』法政大学経済学部学会〈経済志林 87 (3・4)〉、2020年3月20日、186頁。