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蔡州 (河南省)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蔡州(さいしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から初にかけて、現在の河南省駐馬店市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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北魏により設置された豫州を前身とする。580年大象2年)、北周により舒州と改称された。

隋代

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隋初には、舒州は豫州と改称され、5郡を管轄した。602年仁寿2年)に溱州と改称され、606年大業2年)に蔡州と改称された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い蔡州は汝南郡と改称され、下部に11県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年
豫州 洧州 灊州 永州 息州
汝南郡 文城郡 初安郡 臨潁郡 広寧郡 - - 城陽郡 汝南郡 新蔡郡 梁安郡
上蔡県
保城県
武陽県
灈陽県
安昌県 西平県 新蔡県 - - 義興県
城陽県
真陽県
新息県
安陽県
白狗県
苞信県
長陵県
朗中県
区分 大業3年
汝南郡
汝陽県 呉房県 朗山県 西平県 新蔡県 城陽県 真陽県 新息県 褒信県 上蔡県 平輿県

唐代

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621年武徳4年)、王世充を平定すると、汝南郡は豫州と改められた。742年天宝元年)、豫州は汝南郡と改称された。758年乾元元年)、汝南郡は豫州と改称された。762年宝応元年)、豫州は蔡州と改称された。蔡州は河南道に属し、汝陽・朗山・遂平郾城・上蔡・新蔡・褒信・新息・平輿・西平・真陽の11県を管轄した[1]

宋代

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北宋のとき、蔡州は京西北路に属し、汝陽・上蔡・新蔡・褒信・遂平・新息・確山・真陽・西平・平輿の10県を管轄した[2]

のとき、蔡州は南京路に属し、汝陽・遂平・上蔡・西平・確山・平輿の6県と保城・毛宗の2鎮を管轄した[3]

元代

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1293年至元30年)、元により蔡州は汝寧府に昇格した[4]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志一
  2. ^ 宋史』地理志一
  3. ^ 金史』地理志中
  4. ^ 元史』地理志二