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都農町立都農小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
都農町立都農小学校
地図北緯32度15分51.6秒 東経131度33分45.9秒 / 北緯32.264333度 東経131.562750度 / 32.264333; 131.562750座標: 北緯32度15分51.6秒 東経131度33分45.9秒 / 北緯32.264333度 東経131.562750度 / 32.264333; 131.562750
過去の名称 都農尋常高等小学校
都農国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県児湯郡都農町
校訓 教育目標
「知・徳・体の調和のとれた心豊かな児童の育成」
設立年月日 1896年明治29年)11月19日
創立記念日 11月19日
分校 内野々分校(都農東小学校に移籍)
木和田分校(1987年閉校)
学期 3学期制
学校コード B145240615742 ウィキデータを編集
所在地 889-1201
宮崎県児湯郡都農町大字川北14162-1
外部リンク 公式サイト (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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都農町立都農小学校(つのちょうりつ つのしょうがっこう)は、宮崎県児湯郡都農町大字川北にある公立小学校である。

概要

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  • 生徒数:216名
  • 学級数:標準8 特別支援2
    (2015年4月1日現在)[1]

教育方針

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学校のスローガン
「全力一心」
教育目標
「知・徳・体の調和のとれた心豊かな児童の育成」
目指す子どもの姿
  • かしこい子
  • やさしい子
  • たくましい子

沿革

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  • 1869年明治2年) - 藩知事の命により、都農市街地の南端にあった旧寺を改修し、「都農郷学校」と称して師弟を教育。
  • 1874年(明治7年) - 立野に出張所を、木戸平に支校を置く。
  • 1875年(明治8年) - 「都農小学校」と称した公立学校設立伺を提出。校舎が上町に完成。この年を百周年の起算年とする。
  • 1885年(明治18年) - 17番学区都農小学校として、心見・内野々・木和田・轟の4校を分教場として総括。
  • 1887年(明治20年) - 小学校令の施行により、「都農尋常小学校」となる。
  • 1892年(明治25年) - 4分校を独立尋常小学校として分離。温習科を廃止し、補習科を置く。
  • 1896年(明治29年) - 11月19日、高等科を設置し、「都農尋常高等小学校」に改称。この日を創立記念日とする。
  • 1904年(明治37年) - 全校舎を中原(現在地)に移転。
  • 1911年(明治44年) - 新制度により高等科の修業年限を3年とする。
  • 1919年大正8年) - 補習学校を設立。
  • 1928年昭和3年) - 高等科第3学年を廃止し、補習学校を「国民学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年) - 4月1日、国民学校令の施行により、「都農国民学校」に改称。
  • 1945年(昭和20年) - 5月14日、3先生が空襲により殉職。
  • 1946年(昭和21年) - 10月1日、轟分校・尾鈴分校と共に、都農南国民学校(現・都農南小学校)が分離新設。
  • 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、「都農町立都農小学校」に改称。
  • 1949年(昭和24年) - 内野々分校を都農東小学校の分校として分離。
  • 1952年(昭和27年) - 11月19日、殉職三先生慰霊碑を建立。
  • 1957年(昭和32年) - 校歌・校旗を制定。
  • 1975年(昭和50年) - 3月1日、創立100周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年) - 木和田分校が閉校し、本校に統合。
  • 1989年平成元年) - 南・北校舎を大規模改修。
  • 1995年(平成7年) - 創立120周年記念「おすずっ子祭り」を開催。創立100周年記念タイムカプセル開封式も同時開催。
  • 2013年(平成25年) - 3月5日、新校舎が完成。

交通

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最寄りの鉄道駅
JR日豊本線 都農駅より2.2km(5分、徒歩30分)
最寄りのバス停
宮崎交通バス 「都農小前」バス停より55m(徒歩1分)
最寄りの道路
国道10号 「都農町川北」交差点より1km

周辺

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脚注

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  1. ^ 「在籍数」 都農町立都農小学校

関連項目

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外部リンク

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