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ダン・バン・ラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鄧文林から転送)
ダン・バン・ラム
名前
愛称 ラムちゃん
ラテン文字 Dang Van Lam
ベトナム語 Đặng Văn Lâm
基本情報
国籍  ベトナム
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1993-08-13) 1993年8月13日(31歳)
出身地 ロシアの旗モスクワ
身長 188cm
体重 88kg
選手情報
在籍チーム ベトナムの旗 トッペンランド・ビンディンFC
ポジション GK
利き足 左足
ユース
2004-2005 ロシアの旗 FCスパルタク・モスクワ
2005-2006 ロシアの旗 FCディナモ・モスクワ
2006-2010 ベトナムの旗 ホアンアイン・ザライFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2013 ベトナムの旗 ホアンアイン・ザライFC 12 (0)
2012 ラオスの旗 ホアン・アイン・アッタプーFC (loan) 21 (0)
2013 ロシアの旗 ドゥスラル・モスクワ 12 (0)
2014-2015 ロシアの旗 FCロジナ・モスクワ 12 (0)
2015-2019 ベトナムの旗 ハイフォンFC 76 (0)
2019-2021 タイ王国の旗 ムアントン・ユナイテッドFC 42 (0)
2021-2022 日本の旗 セレッソ大阪 0 (0)
2022- ベトナムの旗 ビンディンFC
代表歴2
2011  ベトナム U-19 2 (0)
2018  ベトナム U-23 (OA) 1 (0)
2015- ベトナムの旗 ベトナム 26 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年8月15日現在。
2. 2022年3月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ダン・バン・ラム
各種表記
チュ・クオック・グー Đặng Văn Lâm
漢字チュノム 鄧文林
北部発音: ダン・ヴァン・ラム
南部発音: ダン・ヴァン・ラム
日本語読み: とう ぶんりん
英語表記: DANG Van Lam
テンプレートを表示

ダン・バン・ラム鄧文林ベトナム語Đặng Văn Lâm / 鄧文林 、「ダン・ヴァン・ラム」とも、ロシア語: Лев Шонович Данг(レフ・ショノヴィッチ・ダン)、1993年8月13日 - )は、ロシアモスクワ出身のプロサッカー選手Vリーグ1トッペンランド・ビンディンFCベトナム語版所属。ポジションはGKベトナム代表

サッカー人気が高い母国ベトナムでは、代表正ゴールキーパーとして国民的人気を誇る[1][2]ロシア語ベトナム語英語を話せるトライリンガルである。

来歴

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母親はロシア人、父親はベトナム人のロシア系ベトナム人であり、父親とはベトナム語で会話し、母親とはロシア語で会話していた[3]。18歳でベトナムのクラブに渡った際にはベトナム語の語彙力が不足していたため、その頃に読み書きを勉強した[3]

クラブ

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ロシアモスクワ出身のバン・ラムはロシアの名門スパルタク・モスクワディナモ・モスクワアカデミーで育つ。

その後、父親の母国のホアンアイン・ザライFCでプロ選手としてのキャリアをスタートするが、チームとアジアの文化に馴染めず、ほどなくして追放される形で姉妹クラブであるラオスホアン・アイン・アッタプーFC期限付き移籍となる。当時について本人は「(チームに馴染めなかった理由について)当時の僕のベトナム語があまり上手くなかったこと。第二に、僕は一人のロシア人として、外国人然として振舞ってしまったこと。きっとみんな僕のことが気に入らなかったと思います。心の中で「なんだこのロシア野郎は?」と思ったことでしょう。」「ロシアでは指導陣との距離も近くて、何か不満があれば直接意見を言うこともできます。指導陣も選手の話に耳を傾けて、一緒に解決策を探してくれます。でも、アジアでは違います。指導陣はいつも正しい存在で、そこに議論の余地はありません。年齢が高いほど博識とされて、目上の人と向き合うときは目線を下げないといけません。以前の僕は、そんなこと知りませんでしたから、指導陣にも思ったことをそのまま言っていたんです。時には言い争いになることもありました。ベトナムでは、そのような態度は傲慢と見做されます」と話した[4]

その後は生まれ故郷であるモスクワのアマチュアチームのドゥスラル・モスクワに移籍。

2014年、ロシア4部リーグのロジナ・モスクワに移籍する。 2015年にベトナムに戻ってハイフォンFCに加入し、2016年から正GKに定着する。

2019年2月7日、移籍金45万ユーロ(当時のレートで約5700万円)の3年契約でタイ・リーグ1ムアントン・ユナイテッドFCに移籍[5]

2021年1月30日、J1リーグセレッソ大阪に移籍した[6]。J1史上初めてのベトナム人選手となった[7]。8月に日本の運転免許試験に合格して運転免許証を取得した[8]ACL天皇杯の各1試合ずつに出場、天皇杯の試合はYouTube中継され、サッカーが国民的人気となっているベトナムのファンから大量の応援メッセージがあふれ母国での人気ぶりを日本のファンに示す格好となった[1][2]。同年9月13日の練習中に負傷し検査した結果、左肩関節脱臼(全治4ヶ月)と診断され[9]、その後10月8日付けで選手登録を抹消された[10]

2022年シーズンより再び選手登録された。ベトナム代表に招集され3月29日の日本代表戦で公式戦に復帰した。

2022年8月16日、ベトナム1部トッペンランド・ビンディンFCベトナム語版への完全移籍が発表された[11]

代表

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2017年6月、ホーチミン市で開催されたAFCアジアカップ2019予選ヨルダン代表戦で代表戦初出場を果たし、無失点に抑えた。2018 AFFスズキカップでは優勝を果たし、バン・ラム自身もベストイレブンに選出された。AFCアジアカップ2019ではベスト16で再びヨルダン代表と対戦し、PK戦でシュート1本をセーブするなど準々決勝進出に貢献した[12]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2021 C大阪 1 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
総通算 0 0 0 0 1 0 1 0

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 42試合 0得点(2017年-)[13]


ベトナム代表国際Aマッチ
出場得点
2017 2 0
2018 9 0
2019 12 0
2020 0 0
2021 1 0
2022 7 0
2023 11 0
2024
通算 42 0

脚注

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  1. ^ a b ダン・バン・ラム選手”. GATSBY. 2022年3月29日閲覧。
  2. ^ a b ベトナムのサッカー人気が半端ない…収容人数の2倍に匹敵するファンがスタジアムに集結 2018年01月28日(Sun)0時00分配信”. 2022年3月29日閲覧。
  3. ^ a b ロシア出身のベトナム代表守護神、月給200USDも経験した苦労人<1/2>”. 2022年3月29日閲覧。
  4. ^ ロシア出身のベトナム代表守護神、月給200USDも経験した苦労人<2/2>”. 2022年3月29日閲覧。
  5. ^ WELCOME DANG VAN LAM!!”. ムアントン・ユナイテッドFC (2019年2月7日). 2019年9月4日閲覧。
  6. ^ ダン バン ラム選手 新加入のお知らせ”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト. 株式会社セレッソ大阪 (2021年1月30日). 2021年10月11日閲覧。
  7. ^ J1セレッソ大阪、ベトナム代表GKダン・バン・ラムの獲得を発表 初のベトナム人J1リーガー”. 2022年3月29日閲覧。
  8. ^ セレッソ大阪GKダン・バン・ラム、日本の運転免許証取得で喜びの声”. 2022年3月29日閲覧。
  9. ^ ダン バン ラム選手の負傷について”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト. 株式会社セレッソ大阪 (2021年9月20日). 2021年10月11日閲覧。
  10. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ(2021/10/08)”. Jリーグ.jp. 公益社団法人日本プロサッカーリーグ (2021年10月8日). 2021年11月1日閲覧。
  11. ^ ダン バン ラム選手 ビンディンFCへ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)セレッソ大阪、2022年8月16日https://www.cerezo.jp/news/2022-0816-1200/2022年8月16日閲覧 
  12. ^ Round of 16: Jordan 1-1 Vietnam (AET, Vietnam win 4-2 on penalties)!”. AFC (2019年1月20日). 2019年9月4日閲覧。
  13. ^ ダン・バン・ラム - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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