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重盛信近

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
重盛信近
しげもり のぶちか
生年月日 1855年8月10日
出生地 日本の旗 日本 伊勢国三重郡
(現三重県三重郡菰野町)
没年月日 (1919-11-29) 1919年11月29日(64歳没)
出身校 三重県師範学校卒業
(現三重大学教育学部)
前職 小学校教員
所属政党 (無所属→)
(立憲改進党→)
(大隈伯後援会→)
(公友倶楽部→)
(公正会→)
無所属

選挙区 三重県郡部選挙区
当選回数 1回
在任期間 1915年3月 - 1917年1月25日


三重県の旗 第18代 三重県会議長
在任期間 1902年11月 - 1903年8月

三重県の旗 第18代 三重県会副議長
在任期間 1899年11月 - 1901年11月

三重県の旗 三重県会議員
在任期間 1885年 - 1915年
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重盛 信近(しげもり のぶちか、1855年8月10日(安政2年6月28日[1])- 1919年大正8年)11月29日[2][3])は、明治から大正前期の実業家政治家衆議院議員、三重県会議長、三重県三重郡鵜川原村長。

経歴

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伊勢国三重郡、のちの三重県[2]三重郡鵜川原村[4][5](現菰野町)で、重盛春造の四男として生まれ[1]、1875年(明治8年)5月に重盛泰助の養子となる[1]。1878年(明治11年)三重県師範学校を卒業[2][3][4][5]。小学校教員を務めた[4]

1885年(明治18年)三重県会議員に選出され1915年(大正4年)まで在任[3]。同常置委員、同副議長、同議長、鵜川原村長などを務めた[2][3][4][5][6]。1915年3月の第12回衆議院議員総選挙に三重県郡部から無所属で出馬し、長らく県会議員として務めた実績により当選し[3][4][7]公友倶楽部公正会に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3][5]

実業界では、三重県精撰米組合委員長、四日市米油株式取引所理事長、四日市製紙専務取締役 などを務めた[1][2][3]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』し53頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』307頁。
  3. ^ a b c d e f g 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』88、90頁。
  4. ^ a b c d e 『現代日本の政治家』交友倶楽部100-101頁。
  5. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』219頁。
  6. ^ 三重県議会 歴代正副議長”. www.pref.mie.lg.jp. 2021年6月10日閲覧。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』54頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』24頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。