野口三千三
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のぐち みちぞう 野口 三千三 | |
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生誕 |
1914年(大正3年)11月16日 大日本帝国・群馬県北群馬郡駒寄村 |
死没 | 1998年3月29日(83歳没) |
住居 | 大日本帝国 → 日本 |
国籍 | 大日本帝国 → 日本 |
出身校 | 群馬師範学校 |
活動期間 | 1934年 - 1998年 |
時代 | 昭和時代前期 - 平成時代前期 |
活動拠点 | 大日本帝国 → 日本 |
肩書き | 東京芸術大学名誉教授 |
補足 | |
野口体操の創始者。 |
野口 三千三(のぐち みちぞう、1914年(大正3年)11月16日 - 1998年(平成10年)3月29日)は、野口体操の創始者。東京芸術大学名誉教授。群馬県北群馬郡駒寄村出身。
略歴
[編集]- 1934年(昭和9年) - 群馬師範学校(群馬大学教育学部の前身)卒業。短期現役兵として5ヶ月入営した後に、群馬県高崎市の尋常小学校教師に着任。
- 1935年(昭和10年) - 文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験に全国最年少・首席で合格。
- 1936年(昭和11年) - 高崎中央尋常小学校高等科教師に着任。
- 1939年(昭和14年) - 群馬師範学校専攻科修了。高崎佐野尋常小学校教師に着任。
- 1943年(昭和18年) - 群馬師範学校教官に着任。
- 1944年(昭和19年) - 東京体育専門学校(東京教育大学体育学部、筑波大学体育専門学群の前身)助教授に着任。
- 1946年(昭和21年) - 江口隆哉・宮操子舞踊研究所に入門。
- 1948年(昭和23年) - 文部省の体育指導要領に創作舞踊導入のきっかけを作り、草案を担当。
- 1949年(昭和24年) - 東京芸術大学助教授。
- 1964年(昭和39年) - 「野口体操教室」を下落合俳協ビルにて主宰。後に教室は新宿に移動。野口氏他界後、教室は元の下落合俳協ビルに戻り現在に至る。
- 1978年(昭和53年) - 東京芸術大学教授。朝日カルチャーセンターにて野口体操の普及に努めた。
- 1982年(昭和57年) - 東京芸術大学名誉教授。
主な著書
[編集]- 『原初生命体としての人間』
- 『子どものからだは蝕まれている』
- 『野口体操・からだに貞く』
- 『野口体操・おもさに貞く』
野口体操に関する書籍
[編集]- 羽鳥操『野口体操・感覚こそ力』(1997年、柏樹社)
- 羽鳥操『野口体操入門 体からのメッセージ』(2002年、岩波書店)
- 羽鳥操『野口体操 ことばに貞く 野口三千三語録』(2004年、春秋社)
- 羽鳥操・松尾哲矢『身体感覚をひらくー野口体操に学ぶ』(2007年、岩波ジュニア新書)
- 羽鳥操『マッサージから始める野口体操』(2008年、朝日新聞出版)
映像資料
[編集]- 『アーカイブス 野口体操』野口三千三・養老孟司・羽鳥操(春秋社)
- 付属DVDに、野口本人による実演を交えた公演、および養老との対談を収録。
関連項目
[編集]- 野口体操教室(下落合):野口自身が主催した稽古場を弟子たちが引き継ぎ教えている。
- 北野武
- 倉林和宏
- 木暮実千代
- 富塚研二