野崎泰一
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市 |
生年月日 | 1923年7月2日 |
没年月日 | 2009年7月30日(86歳没) |
身長 体重 |
170 cm 60 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1946年 |
初出場 | 1946年 |
最終出場 | 1952年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 2009年7月30日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)・監督・コーチ。
来歴・人物
[編集]旧制呉港中学校時代の1939年、藤村隆男の控え投手として選抜大会出場(試合出場はなし)。
専修大学を経て、戦後プロ野球が再開された1946年、阪神タイガースに入団。戦後すぐの選手不足で、投手専任は野崎ただ一人だった。ドロップを武器に、主力投手として1948年と1950年に二桁勝利(48年・12勝、50年10勝)を挙げた。しかし肩を痛め、1951年東急フライヤーズ、1952年地元球団の広島カープに移籍したが、活躍は出来なかった。1953年に現役引退。
引退後は広島投手コーチ・監督代行・二軍監督、球団常務、球団代表など、途中空白期を挟みながら1991年まで広島発展に尽力した。
特に1975年シーズンは、監督のジョー・ルーツが開幕から僅か15試合目(4月27日対阪神ダブルヘッダー第1試合)で指揮権放棄しその後辞任したため、4月27日第2試合から5月3日に古葉竹識コーチが後任監督に昇格するまでの4試合(3勝1敗)で監督代行を務め、古葉体制発足以後のチームの支えとなるなど球団創設初優勝に大きな役割を果たした。
広島黄金期の形成に多大な役割を果たした木庭教が、スカウトとして球団に採用される切っ掛けとなったのは、木庭自らが「これからは選手を育てていかなければいけない時代。こういう有望な選手を獲ってはいかがか」という選手のリストを綴った手紙を自ら広島カープ球団に送ったのが発端。この手紙を読んだ野崎が「世間にゃこんなに詳しい人がおるんですな。一度呼んでみちゃどうでしょう」とスカウトだった西野襄に見せてから。プロ野球選手としての経験がない素人だった木庭は、この手紙を切っ掛けに採用された。[1]
球団創成期から在籍する選手出身者としては、備前喜夫らと共に、最も長く広島に関わった人物の一人である。
2009年7月30日0時15分、肺炎のため広島市中区の病院で死去、86歳[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1946 | 阪神 | 44 | 33 | 7 | 2 | 0 | 7 | 13 | -- | -- | .350 | 846 | 195.1 | 182 | 8 | 90 | -- | 1 | 55 | 0 | 0 | 109 | 80 | 3.67 | 1.39 |
1947 | 14 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | -- | -- | .333 | 220 | 51.2 | 45 | 0 | 33 | -- | 2 | 17 | 0 | 0 | 15 | 15 | 2.60 | 1.51 | |
1948 | 40 | 32 | 13 | 2 | 0 | 12 | 11 | -- | -- | .522 | 1009 | 248.0 | 191 | 9 | 84 | -- | 6 | 63 | 0 | 0 | 84 | 72 | 2.61 | 1.11 | |
1949 | 18 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 6 | -- | -- | .143 | 274 | 56.0 | 83 | 10 | 31 | -- | 2 | 11 | 1 | 0 | 54 | 45 | 7.23 | 2.04 | |
1950 | 53 | 26 | 9 | 1 | 0 | 10 | 18 | -- | -- | .357 | 1002 | 226.1 | 246 | 22 | 91 | -- | 2 | 49 | 1 | 0 | 139 | 112 | 4.44 | 1.49 | |
1951 | 東急 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | -- | .000 | 79 | 15.1 | 25 | 2 | 7 | -- | 1 | 3 | 0 | 2 | 17 | 15 | 8.44 | 2.09 |
1952 | 広島 | 11 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | -- | -- | .250 | 114 | 24.2 | 39 | 7 | 4 | -- | 1 | 4 | 0 | 0 | 18 | 16 | 5.76 | 1.74 |
1953 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 23 | 4.1 | 8 | 2 | 2 | -- | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 9 | 16.2 | 2.31 | |
通算:8年 | 186 | 114 | 31 | 5 | 0 | 32 | 56 | -- | -- | .364 | 3567 | 821.2 | 819 | 60 | 342 | -- | 15 | 203 | 2 | 2 | 445 | 364 | 3.99 | 1.41 |
背番号
[編集]- 11 (1946年 - 1949年)
- 3 (1950年)
- 5 (1951年)
- 23 (1952年)
- 1 (1953年)
- 45 (1954年 - 1957年)
- 62 (1959年 - 1962年)
- 67 (1968年 - 1972年)
- 76 (1975年)
- 70 (1976年 - 1979年)
脚注
[編集]- ^ (参考 「裏方 物言わぬ主役たち プロ野球職人伝説」木村公一・著)
- ^ “元プロ野球投手の野崎泰一氏死去”. 時事通信 (2009年7月30日). 2009年7月30日閲覧。
関連項目
[編集]- 個人年度別成績 野崎泰一 - NPB.jp 日本野球機構
- 広島県出身の人物一覧
- 専修大学の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 広島東洋カープの選手一覧