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野村安趙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野村里之子親雲上安趙 (のむら サトゥヌシペーチン あんちょう、1805年6月28日 (嘉慶10年6月2日) - 1871年8月17日 (同治10年7月2日))は、琉球王国第二尚氏王統古典音楽演奏家。野村流の始祖。童名は真蒲戸、唐名は毛文楊。

新城親方安基の支流で、野村家10代目。知念績高に師事。尚泰王の命により、音楽譜『野村工工四』(3巻)を編纂、1869年完成。琉球古典音楽の重要な楽譜である。

系譜

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  • : 易氏真加戸
    • 長女: 思戸 (1832年に生まれる)
    • 次女: 真鍋 (1834年に生まれる)
    • 長男: 野村安暢
    • 次男: 野村安貞

経歴(月日は旧暦)

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「琉球音楽 野村流始祖先師顕彰碑」。野村流の始祖である安趙の写真と名前が筆頭に記されている。沖縄県那覇市
  • 1805年6月2日 父野村安美・母麻氏の長男として首里赤平に生まれる。
  • 1820年12月8日 欹髻を結ぶ。
  • 1829年12月朔日 若里之子に叙する。
  • 1834年12月朔日 黄冠に叙する。
  • 1838年12月朔日 取納座の筆者となる。
  • 1839年12月朔日 同所の大屋子となる。
  • 1843年3月 歌三味線の御用勤に因って褒賞を賜られる。
    • 6月朔日 御側仕となる。
  • 1848年6月朔日 仕上世座の大屋子となる。
  • 1860年6月朔日 御茶屋守となる。
  • 1864年11月朔日 来寅年(1866年)の冊封大典あるによって躍方・歌三味線の師匠となる。
  • 1867年正月28日 冊封大典が全て竣るの大慶によって當座敷に叙する。
  • 1869年6月朔日 御料理座の大屋子と為って座敷に叙する。
  • 1871年7月2日 死去。齢は67、は義翁。

関連人物

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幸地賢忠、新里朝住、照喜名聞覚屋嘉比朝寄、豊原朝典、安冨祖正元

参考文献

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  1. 琉球]首里『毛姓家譜(支流)』。