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野添宗三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野添宗三

野添 宗三(のぞえ そうぞう、明治3年3月30日[1]1870年4月30日) - 大正8年(1919年8月28日[2])は、日本衆議院議員立憲国民党)、弁護士

経歴

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丹波国氷上郡和田村(現在の兵庫県丹波市)出身。1896年(明治29年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業すると、司法官試補として神戸区裁判所に配属された。1898年(明治31年)に検事となり、1900年(明治33年)には判事となった。1901年(明治34年)に退官すると、神戸市で弁護士事務所を開き、神戸弁護士会会長も務めた[3]

神戸市会議員を経て、1910年(明治43年)の衆議院議員補欠選挙に当選[4]。以後、4回の当選回数を数えた。

脚注

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  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ 官報』第2123号、大正8年9月1日
  3. ^ 『衆議院要覧下巻 大正七年十二月』、衆議院事務局、1918年
  4. ^ 『官報』第8127号、明治43年7月25日

参考文献

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  • 『現代氷上郡人物史』三丹新報社、1916年。 
  • 『玄洋社社史編纂芳名帳』(私家版)大正4年~5年