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金剛麗子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こんごう れいこ
金剛 麗子
本名 長嶋千代子[1]
生年月日 (1904-08-25) 1904年8月25日
没年月日 (1964-12-05) 1964年12月5日(60歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県
民族 日本人
職業 女優
ジャンル 舞台映画
活動期間 1935 - 1962[1]
配偶者 難波英夫(1925 - ?)[1]
長嶋富三郎(戦時中 - ?)[1]
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金剛 麗子(こんごう れいこ、1904年8月25日 - 1964年12月5日[1]は、日本女優

経歴

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神戸高等技芸学校卒業後、倉橋仙太郎の新民衆劇学校で演技を勉強する[1][2]1924年4月、新民衆劇一派(第二新国劇)公演『京の友禅』などに、研究生仲間の原健策、正親町勇(大河内傳次郎)らと出演[1]1925年、劇団の文芸部にいた[1]社会運動家難波英夫と結婚(のち離婚)[1]。関西新派、新潮座新声劇を経て、1933年秋に山口俊雄月形龍之介五月信子らと劇団「享楽列車」を結成[1]。映画『権三と助十』(1937年)出演後、新興キネマに入社(1942年に統合で大映になる)[1]。戦時中、大映の宣伝部員・長嶋富三郎と再婚[1]。戦後も所属する大映の他、松竹、東宝で時代劇に出演[1]。女優業の傍ら、京都市新京極に居酒屋「金剛」を開店[1]野淵昶や当時助監督だった加藤泰が常連だった[1]1962年、引退。直後、乳癌を患い手術するが全身転移して1964年12月5日に死去[1]

主な出演作品

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映画

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舞台

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  • 冬木心中(新民衆劇、1924年8月14日、三友劇場) - おせん[6][7]
  • 民衆のために(新潮座、1926年10月6日 - 17日、京都座) - 娘 [8]
  • 岡崎踊(新声劇、1930年9月30日、岡崎市公会堂)[9]
  • 三原山晴天(劇団・享楽列車、1933年11月10日、大阪・角座)[10]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『日本映画人名事典 (女優篇 上巻)』キネマ旬報社、1995年、718-719頁。ISBN 978-4873761404 執筆者:奥田久司
  2. ^ 『部落解放研究91号』1993年、128頁。 北崎豊二「部落史の窓(7) 水平社同人と「新文化村」」
  3. ^ 溝口健二(監督)『山椒大夫』(映画)大映京都、1954年3月31日。 
  4. ^ 吉村公三郎(監督)『大阪物語』(映画)大映京都、1957年3月6日。 
  5. ^ 三隅研次(監督)『釈迦』(映画)大映京都、1961年11月1日。 
  6. ^ ワシラノシンブン 第10号(1924年12月1日)
  7. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇〈第8巻〉大正12年~昭和3年』八木書店、2002年、234頁。ISBN 978-4840692304 
  8. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇〈第8巻〉大正12年~昭和3年』八木書店、2002年、460頁。ISBN 978-4840692304 
  9. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇〈第9巻〉昭和四年~昭和十年』八木書店、2003年、139頁。ISBN 978-4840692311 
  10. ^ 『伝書鳩 第4号』井上靖記念文化財団、39頁。 

外部リンク

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