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金原亭馬遊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金原亭 馬遊きんげんてい ばゆう
金原亭 馬遊
金原亭馬遊の定紋・「鬼蔦」
本名 高満たかみつ 毅一きいち
生年月日 1966年9月1日
没年月日 (2024-10-09) 2024年10月9日(58歳没)
出身地 日本の旗 日本北海道根室市
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 金原亭伯楽
名跡 1. 二代目金原亭桂太
(1989年 - 2001年)
2. 金原亭馬遊
(2001年 - )
出囃子 品川甚句
活動期間 1989年 - 2024年
活動内容 落語家
所属 落語協会
公式サイト 金原亭馬遊オフィシャルホームページだよ

金原亭 馬遊(きんげんてい ばゆう、1966年9月1日 - 2024年10月9日)は、落語協会所属の落語家[1]。本名は高満毅一[注釈 1]

略歴

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北海道根室市出身。札幌大学経済学部卒[2]

1989年4月、金原亭伯楽に入門。前座名「桂太」として古今亭菊司と同時に楽屋入り[1]

1992年11月に古今亭菊若、古今亭菊翔(菊司改め)と共に二ツ目昇進[1]

2001年9月に柳家禽太夫入船亭扇治橘家文左衛門三遊亭萬窓三遊亭白鳥柳家一琴林家きく姫古今亭駿菊(菊若改め)、柳家三太楼と共に真打昇進。「馬遊」と改名[1]

2024年10月9日、脳室内出血のため、東京都内の病院で死去した。58歳没。訃報は同月14日、落語協会より公表された。生前最後の寄席出演は、同年2月17日の黒門亭での『猫の皿』であった[3][4]

逸話

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札幌大学出身の落語家として先輩に橘家富蔵がいる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 髙満『穀』一となっている書籍があるのは誤り。

出典

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  1. ^ a b c d 落語協会ホームページより「金原亭馬遊」
  2. ^ 東京かわら版『東都寄席演芸家名鑑2』P51より。
  3. ^ 金原亭馬遊 訃報”. 最新情報. 一般社団法人落語協会 (2024年10月14日). 2024年10月14日閲覧。
  4. ^ 「金原亭馬遊師 逝去」『東京かわら版』618巻(2024年12月号)、22頁。

外部リンク

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