金平鈺
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2009年2月8日、とどろきアリーナで。 | |
富士通レッドウェーブ | |
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役職 | テクニカルアドバイザー |
基本情報 | |
国籍 | 大韓民国 |
生年月日 | 1935年2月22日(89歳) |
出身地 | 大韓民国 |
指導者経歴 | |
1994-2000 2005-2011 |
ジャパンエナジー アイシンAW |
金 平鈺(キム・ピョンオク、1935年2月22日 - )は、大韓民国出身のバスケットボール選手・指導者。
来歴
[編集]韓国空軍、専売庁でプレーし、1969年から専売庁のヘッドコーチを務める。その後ソウル信託銀行、韓国化粧品のヘッドコーチを経て、1993年にジャパンエナジー(当時は日鉱共石)の技術顧問に就任、翌1994年からヘッドコーチを務める。第2回Wリーグ優勝、オールジャパン優勝5回(1994年、1996年、1997年、1998年、2000年)を成し遂げ、2001年、内海知秀にヘッドコーチ職を譲り技術顧問に就任、2004年にチームを離れた。2005年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのヘッドコーチに就任。2010年、加藤雅規にヘッドコーチ職を譲り技術顧問に就任。
2016年、富士通レッドウェーブテクニカルアドバイザーに就任[1]。
脚注
[編集]- ^ “2016年度新体制について”. 富士通レッドウェーブ (2016年5月2日). 2016年5月2日閲覧。
外部リンク
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