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金時学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金時学
김시학
生年月日 (1932-08-22) 1932年8月22日(92歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安南道平壌府
出身校 万景台革命学院
金日成総合大学
チェコ工科大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章

当選回数 7回
在任期間 1972年10月 - 1977年11月
1982年11月 - 2014年3月
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年
金正恩(2011年 - )

在任期間 2004年 - 2010年3月

朝鮮労働党の旗 開城市党委員会責任書記
在任期間 1998年4月 - 不明

在任期間 1992年6月 - 不明

在任期間 1970年11月 - 不明
1980年10月 - 2010年9月

その他の職歴
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮社会主義労働青年同盟委員長
1970年11月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮中央放送委員会委員長
1972年12月 - 不明)
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金時学
各種表記
チョソングル 김시학
漢字 金時學
発音 キム・シハク
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金 時学(キム・シハク、朝鮮語: 김시학1932年8月22日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国政治家金日成高級党学校校長、朝鮮労働党組織指導部副部長、開城市党責任書記、朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮社会主義労働青年同盟委員長などを歴任した。金正日総書記の「最長寿の側近」と呼ばれた[1]。国土環境保護相の金京準は息子[2]

経歴

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1932年日本統治下の平安南道平壌府で生まれた[3]万景台革命学院金日成総合大学を卒業し[3]チェコ工科大学に留学した[3]1956年朝鮮作家同盟外国文学科委員に就任[3]1970年11月朝鮮労働党中央委員会委員・党部長に選出され[3]朝鮮社会主義労働青年同盟(現金日成・金正日主義青年同盟)委員長に就任した[3]1972年12月最高人民会議第5期代議員に選出され[3]朝鮮中央放送委員会委員長に就任した[3]1974年に朝鮮アルゼンチン親善協会委員長[3]1975年に朝鮮トーゴ親善協会委員会に就任した[3]。同年11月朝鮮記者同盟中央委員会副委員長に就任した[3]1980年に党中央委員会委員に選出され[3]、党部長に就いた[3]1981年には党青少年事業部長兼三大革命小組部長に就任し[3]三大革命赤旗獲得運動を推進した。1982年金日成勲章を受賞した[3]1992年朝鮮労働党組織指導部副部長に就任し[3]金正日総書記の執権後は側近として仕えたが、組織指導部の「権威」に挑戦したとして[1]1998年開城市党責任書記に追いやられた[3]2004年に金正日への「忠誠心」が確認されたとして朝鮮労働党の幹部養成機関である金日成高級党学校の校長に就任し[3]、中央に復帰した[4]2009年に最高人民会議第12期代議員に選出され、資格審査委員会委員に就いた[3][5]2010年3月に党学校校長を解任され、同年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で、中央委員会委員に選出されず退任した。

2018年に開催された第5回全国老兵大会[6]2020年に開催された第6回全国老兵大会に参戦老兵として参加した[7]

家族

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国土環境保護相の金京準は息子で、時学が金日成総合大学生物学部に入学させたという[2]

脚注

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  1. ^ a b 金正日, 左足を引きずりながら入場 デイリーNK 2009年6月19日
  2. ^ a b 김정은이 먹고 쓰는 생필품은? ラジオ・フリー・アジア 2016年2月2日
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 김시학 金時學북한지역정보넷
  4. ^ 金正日総書記独特の人使いの「コツ5」 中央日報 2007年1月5日
  5. ^ 金正日, 左足を引きずりながら入場 デイリーNK 2009年4月10日
  6. ^ 北朝鮮で朝鮮戦争「老兵大会」…中国志願軍にも「崇高な敬意」 デイリーNK 2018年7月27日
  7. ^ 「核抑止力で永遠に未来が保証される」金正恩氏、老兵大会で演説 デイリーNK 2020年7月27日

参考サイト

[編集]

북한정보포털