金沢市立森山町小学校
表示
金沢市立森山町小学校 | |
---|---|
北緯36度34分43秒 東経136度40分3.9秒 / 北緯36.57861度 東経136.667750度座標: 北緯36度34分43秒 東経136度40分3.9秒 / 北緯36.57861度 東経136.667750度 | |
過去の名称 |
養成浅汀小学校分校 錬長小学校 上田町小学校 上田町尋常小学校 森山町尋常高等小学校 森山町尋常小学校 金沢市森山町国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
設立年月日 | 1880年(明治13年)1月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117220100090 |
校地面積 | 12,042[1] m2 |
校舎面積 | 5,451[1] m2 |
設計者 | 中島建築事務所[2] |
所在地 | 〒920-0843 |
外部リンク |
www14 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立森山町小学校(かなざわしりつ もりやまちょうしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Moriyamacho Elementary School)は、石川県金沢市森山2丁目にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1880年(明治13年)1月11日 - 山ノ上町2丁目(現山の上町)善導寺内に、現在の金沢市立馬場小学校の前身の養成小学校(男児校)・浅汀小学校(女児校)の分校として開校[6][7]。
- 1881年(明治14年)10月30日 - 春日町3丁目(現春日町)の民家へ移設し、金沢区錬長小学校と改称[8]。
- 1885年(明治18年)9月12日 - 上田町(現森山2丁目)に移転新築し、上田町小学校と改称[9][10]。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令により、尋常科上田町小学校、簡易科上田町小学校と改称[11]。
- 1892年(明治25年)3月15日 - 尋常科上田町小学校を上田町尋常小学校と改称[12]。
- 1908年(明治41年)11月15日 - 森山二番丁(現在地森山2丁目)に校舎を移転新築[10]、森山町尋常小学校と改称。開校式挙行[13]。
- 1918年(大正 7年)2月 - 校旗樹立。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 高等科(女子部)を併設し、森山町尋常高等小学校と改称。
- 1931年(昭和 6年)4月 - 高等科を廃止し、森山町尋常小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)3月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市森山町国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、金沢市立森山町小学校と改称。所在地:金沢市森山二番丁11番地[14]。
- 1957年(昭和32年)3月 - 森山町小学校新築落成[15]。
- 1965年(昭和40年)2月20日 - 校舎改築落成式。鉄筋3階建(一部4階)延べ6242平方メートル、総工費1億2928万円[16]。
- 1966年(昭和41年)7月1日 - 住居表示実施により、所在地の表記が金沢市森山2丁目13番50号となる[17]。
- 1967年(昭和42年)7月 - プール竣工。
- 1981年(昭和56年)3月 - 創立100周年記念式典を挙行。体育館竣工。
- 1991年(平成 3年)1月 - 創立110周年記念式典を挙行。創立110周年記念文集作成。
- 2002年(平成14年)7月 - 校内LAN整備工事・完了。
- 2010年(平成22年)2月 - 創立130周年記念式典を挙行。
- 2013年(平成25年)8月 - 体育館および講堂の耐震工事完了。
- 2020年(令和 2年)
- 2021年(令和 3年)11月26日 - 創立140周年記念行事を開催[20][注釈 1]。
関連校
[編集]金沢市立馬場小学校
[編集]- 1872年9月(明治5年8月) - 石川県金沢区第十四区学校として東馬場町に設置。
- 1873年(明治 6年)
- 1877年(明治10年)9月 - 養成小学校(男児校)と改称[7]。
- 1880年(明治13年)1月 - 山ノ上町2丁目(現金沢市山の上町)地内に分校を設立(現金沢市立森山町小学校の前身)[7]。
仁恵小学校
[編集]浅汀小学校
[編集]小橋小学所
[編集]学校周辺
[編集]- 小坂神社
- 卯辰山
- あめや坂
服装
[編集]出身者・関係者
[編集]- 大場松魚(漆芸家 蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝) 1916/3/15 - 2012/6/21)
- 出島武春(武蔵川部屋所属の元大相撲力士 現大鳴戸親方)
- 坂井一将(男子バドミントン選手)[25]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 34. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月16日閲覧。
- ^ a b “施工実例 - 金沢市立森山町小学校”. みづほ工業株式会社. 2024年10月10日閲覧。
- ^ “金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年9月16日閲覧。
- ^ 学校概要 - 沿革(金沢市立森山町小学校 旧ホームページ)(2020年11月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “学校概要 - 沿革”. 金沢市立森山町小学校. 2024年9月16日閲覧。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、53頁。NDLJP:2994360/31。
- ^ a b c 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 282.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 57.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 73.
- ^ a b 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 296.
- ^ 金沢北郊の変貌(1962), p. 85.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 99.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 177.
- ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、643頁。NDLJP:9524018/334。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、470頁。NDLJP:9569470/250。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、481頁。NDLJP:2994372/245。
- ^ 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 321.
- ^ 「新学期スタートの4日間。元気・やる気いっぱいの森山っ子!」『学校だより』令和2年度4月臨時号、金沢市立森山町小学校、2020年8月27日。
- ^ 「新校舎の内見会が行われました」『学校だより』令和2年度8月号、金沢市立森山町小学校、2020年8月27日。
- ^ 「2年遅れだけど140周年祝えた 森山町小 動画上映や出し物」『中日新聞(デジタル版)』2021年11月27日。
- ^ “学校概要 - 学校紹介”. 金沢市立森山町小学校. 2024年10月10日閲覧。 “森山町小学校は、2019年度(令和元年度)、創立140周年を迎えた、歴史ある学校です”
- ^ a b c d e 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 277.
- ^ 続 金沢北郊の変貌(1976), pp. 281–282.
- ^ a b c 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 275.
- ^ 『チャレンジ東京五輪⑥ 「打倒桃田」諦めない バドミントン坂井一将(日本ユニシス) 球の威力、質を上げる』(2019年1月22日付北國新聞朝刊31面)2021年3月26日閲覧
参考文献
[編集]- 石川県教育会金沢支会編『金沢市教育史稿』1919年
- 本岡三郎 編『金沢北郊の変貌』石川県図書館協会、1962年12月、79-86頁。NDLJP:2985641/54。
- 本岡三郎 編『続 金沢北郊の変貌』石川史書刊行会、1976年2月、296-327頁。NDLJP:2975165/159。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 金沢市立森山町小学校
- 金沢市立森山町小学校 旧ホームページ(2020年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project