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金沢市立馬場小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金沢市立馬場小学校
地図北緯36度34分28.8秒 東経136度39分55.7秒 / 北緯36.574667度 東経136.665472度 / 36.574667; 136.665472座標: 北緯36度34分28.8秒 東経136度39分55.7秒 / 北緯36.574667度 東経136.665472度 / 36.574667; 136.665472
過去の名称 小橋小学所
第十四区学校
尋常科馬場小学校
馬場尋常小学校
金沢市立馬場国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
設立年月日 1871年1月[注釈 1]明治3年11月[1]
創立記念日 11月22日[2]
閉校年月日 2024年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B117220100081 ウィキデータを編集
校地面積 8,268[1] m2
校舎面積 3,819[1] m2
所在地 920-0831
外部リンク 公式サイト - ウェイバックマシン(2023年4月24日アーカイブ分)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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馬場小学校校舎(2023年12月)

金沢市立馬場小学校(かなざわしりつ ばばしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Baba Elementary School)は、かつて石川県金沢市東山3丁目に所在した公立小学校

概要

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  • 人権を尊重し個性を認める教育を教育目標として、自分らしい表現力を育成することに重点を置いた教育を行っていた。
  • 校舎内には馬場小学校卒業生である[3]泉鏡花徳田秋声尾山篤二郎の文学碑「文学の故郷」が建立されている。これは1970年昭和45年)11月に創立100周年事業の一環で建立されたもので、尾山篤二郎の『雪客』、泉鏡花の『縷紅新草』、徳田秋声の『光を追うて』の各一節が印されている。また、この「文学の故郷」の碑文は、当時ノーベル文学賞受賞で名をはせた川端康成の字であり[3]、石碑が落成された時には川端自身が来校している。
  • 同じく創立100周年事業として、プールにはフジヤマのトビウオと呼ばれた古橋廣之進の字で「泳」というプレートが作られた。
  • 行事としては、新入生の行事で毎年卯辰山での記念植樹が行われていた[4]。ほかにも、馬場小学校の創立記念日11月22日)に、「馬場のすてきを伝えよう集会」も、毎年開催されていた[5]
  • 2022年度までは、「BABA-ONE」と呼ばれる独自の行事を開催していた。

沿革

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《主要な出典:[6]

  • 1871年1月(明治3年11月)[注釈 1] - 金沢区浅野川小橋の側にあった前田掃部邸跡において、小橋小学所創立[7]
  • 1872年9月(明治5年8月) - 学制発布により第十四区学校と改称[注釈 2]なお、1887年まで校名は7回改称された。[要出典]
  • 1873年(明治06年)5月 - 小橋小学所を東馬場小学校と改称[10]
  • 1877年(明治10年)9月 - 東馬場小学校を養成小学校(男児校)と浅汀小学校(女児校)の2校に分離[11]
  • 1880年(明治13年)1月11日 - 山ノ上町2丁目の善導寺内を借りて養成小学校・浅汀小学校の分校を設置(養成浅汀分校と称する)[12][13]
  • 1881年(明治14年)10月30日 - 養成浅汀分校が春日町3丁目に移転し、練長小学校として独立[14]
  • 1885年(明治18年)4月 - 養成小学校を東馬場男児小学校と改称[11]。浅汀小学校を東馬場女児小学校と改称。
  • 1886年(明治19年)12月 - 中島男児小学校を東馬場男児小学校に合併[15]
  • 1887年(明治20年)4月 - 東馬場男児小学校を尋常科馬場小学校と改称[16]
  • 1891年(明治24年)6月 - 馬場1番丁26番地(現在地)に校舎を新築、移転。落成式を挙行(男女総合となる)[17]
  • 1892年(明治25年)4月 - 馬場尋常小学校と改称。
  • 1904年(明治37年)4月5日 - 新築校舎落成式を挙行[18]
  • 1929年昭和04年)2月25日 - 出火により校舎全焼[19]
  • 1930年(昭和05年)8月 - 校舎竣工。石川県内で初の鉄筋校舎であった[20]
  • 1931年(昭和06年)3月14日 - 校舎落成式挙行[21]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市立馬場国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、金沢市立馬場小学校と改称。
  • 1966年(昭和41年)1月 - 特学分校併置。
  • 1970年(昭和45年)11月22日 -
    • 創立100周年記念事業による「文学の故郷」碑落成[3]
    • 創立100周年記念式挙行。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 特学分校休校。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月8日 - 校舎お別れ式[3]
    • 4月 - 校舎改築のために、高岡町7番25号[22]所在の旧・松ヶ枝町小学校[注釈 3]に仮移転。
    • 6月 - 校舎改築起工式挙行。
  • 1988年(昭和63年)
    • 7月 - 改築校舎完成。
    • 9月29日 - 校舎改築竣工式挙行[3]
  • 2000年平成12年)4月1日 - 特学教室「うたつ学級」設置。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 特学教室「うぐいす学級」設置。
  • 2010年(平成22年)11月20日 - 創立140周年記念式挙行。
  • 2020年令和02年)11月22日 - 創立150周年記念式挙行。
  • 2024年(令和06年)
    • 3月23日 - 閉校式挙行[23]。同日午後、実行委員会・馬場小学校PTAの主催により閉校記念イベントを実施[24]
    • 3月31日 - 金沢市立明成小学校との統合により閉校。
    • 4月1日 - 金沢市立馬場小学校を廃止[25]

服装

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  • 平常時は標準服の着用が義務付けられている。但し、私服登校が可能な時もある。[要出典]

主な卒業生

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進学先中学校

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2022年3月まで卒業の児童
金沢市立小将町中学校[26]
2023年3月および2024年3月卒業の児童
金沢市立長町中学校[27]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 出典の学校ホームページの沿革にある明治3年11月22日を西暦1971年1月12日に換算。
  2. ^ その後、第十四区学校は、1873年(明治6年)3月に「第二中学区五番小学校」[8]と、同年6月に「石川県金沢区第二中学区東馬場小学校」と、同年7月に「第二十二中学区東馬場小学校」と改称された[9]
  3. ^ 松ヶ枝町小学校は、馬場小学校と同じく1871年1月(明治3年11月)創立の小学所(梅本町小学所)が発祥。1987年(昭和62年)4月設立の金沢市立中央小学校に統合されて廃校となった。

出典

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  1. ^ a b c d 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧(『金沢の教育 行政編』34頁)(2024年3月25日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  2. ^ 平成29年度11月行事予定(金沢市立馬場小学校 旧ホームページ)(2018年2月15日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  3. ^ a b c d e 市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年9月9日閲覧。
  4. ^ 平成26年度4月行事予定(金沢市立馬場小学校 旧ホームページ)(2015年2月19日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  5. ^ 創立記念「馬場のすてきを伝えよう集会」」『学校だより』平成26年度11月 号外、金沢市立馬場小学校、2014年11月13日。 
  6. ^ 学校概要 - 沿革”. www14.schoolweb.ne.jp. 2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年11月12日閲覧。
  7. ^ 本岡三郎 編『続 金沢北郊の変貌』石川史書刊行会、1976年2月、275頁。NDLJP:2975165/148 
  8. ^ 金沢市役所 編『金沢市史――学事編 第3』名著出版、1973年7月、590頁。NDLJP:9536451/35 
  9. ^ 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 277.
  10. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、25頁。NDLJP:2994360/17 
  11. ^ a b 金沢の百年 明治編(1965), p. 41.
  12. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 53.
  13. ^ 続 金沢北郊の変貌(1976), p. 282.
  14. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 57.
  15. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 79.
  16. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 81.
  17. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 95.
  18. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 155.
  19. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、129頁。NDLJP:2994372/69 
  20. ^ 【馬場小学校の旧校舎について】馬場小学校の旧校舎が金沢市内で最初のコンクリート建築だったかどうかが知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2024年9月30日閲覧。
  21. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 145.
  22. ^ 『全国学校総覧』文部省大臣官房調査統計課 監修(昭和60年版)、東京教育研究所、1984年11月、686頁。NDLJP:12245199/357 
  23. ^ 「馬場小は宝」合唱で別れ 金沢で閉校式、153年の歴史に幕」『北國新聞DIGITAL』2024年3月24日。オリジナルの2024年3月30日時点におけるアーカイブ。
  24. ^ 馬場小学校閉校イベント”. 馬場校下町会連合会ウェブサイト. 2024年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年9月30日閲覧。
  25. ^ 金沢市学校設置条例の一部を改正する条例」『金沢市公報』号外第2号の2、金沢市、2023年3月23日、4頁。 
  26. ^ 金沢市立中学校生徒通学区域(金沢市ホームページ)(2023年2月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  27. ^ 金沢市立中学校生徒通学区域(金沢市ホームページ)(2023年5月10日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project

関連項目

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参考文献

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  • 『石川県小学校長会 創立五十周年記念誌』
  • 金沢市立馬場小学校『創立百周年記念 牡丹とふじたな』(1970年)
  • 金沢市立馬場小学校学校ホームページ

外部リンク

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