金沢市立諸江町小学校
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金沢市立諸江町小学校 | |
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北緯36度35分19.0秒 東経136度38分52.1秒 / 北緯36.588611度 東経136.647806度座標: 北緯36度35分19.0秒 東経136度38分52.1秒 / 北緯36.588611度 東経136.647806度 | |
過去の名称 |
諸江小学校 諸江尋常高等小学校 諸江尋常小学校 弓取尋常小学校 弓取尋常高等小学校 金沢市立諸江町尋常高等小学校 金沢市立諸江町国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
併合学校 | 金沢市立松寺小学校 |
校訓 | 強く 明るく 正しく[1] |
設立年月日 | 1873年(明治6年)8月[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117220100072 |
校地面積 | 16,491[2] m2 |
校舎面積 | 7,490[2] m2 |
所在地 | 〒920-0022 |
外部リンク |
www14 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立諸江町小学校(かなざわしりつ もろえまちしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Moroemachi Elementary School)は、石川県金沢市北安江2丁目に所在する公立小学校。
沿革
[編集]《主要な出典:[4]》
- 1873年(明治 6年)8月 - 七ツ屋(現・金沢市七ツ屋町)所在の円休寺に教場を開く(校名不明[注釈 1])。
- 1885年(明治18年)8月 - 割出小学校(1876年〈明治9年〉、割出村高桑宅で創立[6])を統合して、諸江小学校となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、諸江村ほか5村の区域をもって、弓取村が発足。
- 1892年(明治25年)12月 - 高等科を併置し、諸江尋常高等小学校と改称。
- 1898年(明治31年)3月 - 高等科を廃止し、諸江尋常小学校と改称。
- 1902年(明治35年)4月 - 下安江小学校と合併し、弓取尋常小学校と改称[7]。
- 1920年(大正 9年)4月 - 高等科を併置し、弓取尋常高等小学校[注釈 2]と改称。
- 1925年(大正14年)4月10日 - 弓取村の金沢市編入に伴い、金沢市立諸江町尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市立諸江町国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、金沢市立諸江町小学校と改称。
- 1952年(昭和27年)4月 - 金沢市立松寺小学校(元・河北郡川北村立松寺小学校、1876年〈明治9年〉10月創立[10])と統合。
- 1955年(昭和30年)12月 - 校舎落成、校歌制定(作詞:密田良二、作曲:佐々木宣男)。所在地:金沢市北安江町378番地[11]。
- 1972年(昭和47年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行[12]。
- 1979年(昭和54年)4月 - 新校舎完成[13]。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 金沢市立浅野川小学校開校に伴い、通学区域から弓取町、三ツ屋町、三口町を分離[14]。
学区
[編集]三浦町、諸江町、割出町、七ツ屋町、磯部町、松寺町、北寺町、沖町、問屋町1丁目、問屋町2丁目、問屋町3丁目、北安江1丁目、北安江2丁目、北安江3丁目、北安江4丁目(1番7号~1番25号、3番~20番、21番10号~21番23号、22番20号~22番22号に限る。)、広岡1丁目(3番~5番に限る。)、広岡3丁目(3番43号~3番55号に限る。)、西念1丁目(12番11号~12番27号、13番、14番15号~14番20号、16番1号~16番11号、16番16号~16番36号に限る。)、駅西新町1丁目(39番10号~39番25号に限る。)[15]
進学先中学校
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 金沢市立諸江町小学校 旧・旧ホームページ(2013年2月15日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ a b c “学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 34. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月20日閲覧。
- ^ “金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年10月7日閲覧。
- ^ 諸江地区金沢市編入六十周年記念事業実行委員会編集委員 編『伸びゆく諸江――諸江地区金沢市編入六十周年記念誌』諸江地区金沢市編入六十周年記念事業実行委員会、1985年11月、48頁。NDLJP:9571855/30。同頁掲載の「諸江町小学校のあゆみ」を参照。
- ^ 高室信一『金沢・町物語――町名の由来と人と事件の四百年』能登印刷出版部、1982年11月、272-274頁。NDLJP:9539072/139。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、39頁。NDLJP:2994360/24。
- ^ 伸びゆく諸江(1985), p. 73.
- ^ 伸びゆく諸江(1985), p. 43.
- ^ 石川郡自治協会 編『石川県石川郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年10月、1215頁。NDLJP:9539865/648。
- ^ 河北郡 編『石川県河北郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年10月、492頁。NDLJP:9539867/258。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、472頁。NDLJP:9569470/251。1967年4月時点の学校一覧参照。
- ^ 伸びゆく諸江(1985), p. 77.
- ^ 伸びゆく諸江(1985), p. 78.
- ^ 学校の沿革(金沢市立浅野川小学校 旧ホームページ)(2020年11月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “金沢市立小学校児童通学区域”. 金沢市. 2022年9月2日閲覧。
- ^ “金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市例規集. 金沢市. 2024年10月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 金沢市立諸江町小学校
- 金沢市立諸江町小学校 旧ホームページ(2020年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project