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針生宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

針生 宏(はりゅう ひろし[1]1935年6月2日[1] - )は日本映画プロデューサー宮城県仙台市出身[1]。美術評論家 針生一郎は兄。

経歴

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仙台一高を経て、東京大学経済学部を卒業。1960年東宝へ入社[1]東宝撮影所に配属され、映画『慕情の人』より助監督を務める[1]。演出部からテレビ部企画係、文芸部を経て、1971年東宝映画へ出向。その後東宝テレビ部に移籍。

映画『モスラ』では、チーフ助監督の野長瀬三摩地からの指示で劇中歌「モスラの歌」のインドネシア語歌詞をカタカナに書き起こした[1]。針生は、曲をつける際に歌いやすいよう変えるだろうと考えていたが、完成作品では針生の書いたものがそのまま使われており驚いたという[1]

映画

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公開年月日 作品名 制作(配給) 役職
1961年2月14日 慕情の人 東宝 助監督[1]
1961年7月30日 モスラ
1961年11月22日 猫と鰹節 ある詐欺師の物語
1962年2月10日 銀座の若大将
1962年7月7日 重役候補生No.1
1969年10月10日 コント55号 俺は忍者の孫の孫 企画[2]
1970年8月11日 激動の昭和史 軍閥 製作[3]
1971年7月17日 激動の昭和史 沖縄決戦 製作[4]
1973年5月12日 戦争を知らない子供たち 東宝映画
東宝
製作[5]
1974年9月21日 青葉繁れる 製作補佐・製作補[6]
1975年2月15日 青春の門 製作[7]
1977年2月11日 青春の門 自立篇 製作[8]
1982年2月16日 あゝ野麦峠 新緑篇 協力製作[9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h モスラ映画大全 2011, pp. 44–47, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 本編助監督 針生宏」
  2. ^ コント55号 俺は忍者の孫の孫”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  3. ^ 激動の昭和史 軍閥”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  4. ^ 激動の昭和史 沖縄決戦”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  5. ^ 戦争を知らない子供たち”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  6. ^ 青葉繁れる”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  7. ^ 青春の門”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  8. ^ 青春の門 自立篇”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。
  9. ^ あゝ野麦峠 新緑篇”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年5月3日閲覧。

参考文献

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  • 田中文雄『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年。ISBN 4-87376-070-4 
  • 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2 

外部リンク

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