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鈴木儀左衛門

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鈴木儀左衛門

鈴木 儀左衛門(儀左衞門、すずき ぎざえもん、1856年5月26日(安政3年1月28日[1][注釈 1])- 1933年昭和8年)8月6日[2][3])は、明治から昭和初期の農業経営者、教育者、実業家政治家衆議院議員、千葉県会議長、千葉県海上郡嚶鳴村長。

経歴

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下総国夷隅郡琴田村[2]千葉県[3]夷隅郡琴田村、嚶鳴村[4]琴田[2]海上町 [2]を経て現旭市琴田)で、農業[2]、先代・鈴木儀左衛門の長男として生まれた[1]安中藩儒・伊藤桂次郎に師事し漢籍を修めた[2]

1872年(明治5年)大区選挙人に就任[2]。1876年(明治9年)地租改正で苦しむ村民の先頭に立ち、地租等級の改訂を誓願する減租運動を10年有余にわたって継続し、ついに改定を実現した[2]。また自由党板倉中西村甚右衛門らと交際し[2]、1890年(明治23年)自由党系の政治結社・興東倶楽部を結成した[2]。また、興東英和学校を設けて地域の子弟に英学を教え[2]、干潟治水組合長に就任して治水事業に尽力した[2]

1892年(明治25年)3月、千葉県会議員に選出され[2][3][4]、1897年(明治30年)10月まで在任し[2]、この間、同副議長(1894年4月から2年間)[2][3][4]、同議長(1896年4月-1897年10月)を務めた[2][3][4]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(千葉県第4区)で初当選し[2][5]、以後、第7回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[3][4]。この間、利根川改修工事の国営移管問題の解決に尽力した[2]

その他、嚶鳴村長[1][注釈 2]学務委員、千葉県農会幹事、農友会長、帝国農会参事、北総銀行常務取締役、全国肥料取次所専務取締役、日本人造肥料役員などを務めた[1][2][3][4]

人物

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目白僧園の釈雲照に帰依して仏道を研鑽した[2]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『千葉県議会史:議員名鑑』456頁では安政3年2月10日。
  2. ^ 『千葉県議会史:議員名鑑』456頁では琴田村長。

出典

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』す40-41頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『千葉県議会史:議員名鑑』456頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』219頁。
  4. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』235頁。
  5. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』80頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』11頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『千葉県議会史:議員名鑑』千葉県議会、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。