鈴木駿也
六花亭野球部 #33 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山形県天童市 |
生年月日 | 1991年1月19日(33歳) |
身長 体重 |
180 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト7位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
鈴木 駿也(すずき しゅんや、1991年1月19日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]山形中央リトルシニア出身。天童市立第二中学校では栗原健太の後輩にあたる。東北選抜でも活躍した。
山形中央高に進学すると、1-2年夏には内野手(遊撃手)として県予選準決勝まで進んだが敗退。2年秋に投手へ転向。3年夏は県予選準々決勝で鶴岡東高に接戦の末敗退する。
2008年、同年のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから7巡目で指名された。山形中央高の卒業生として初のプロ野球選手となった。なお、プロから指名されなかった場合は、社会人野球に進む予定だった。
プロ入り後
[編集]2010年、7月に右肘の手術を受け復帰まで時間が必要となった。このため、10月1日に規約に基づいて戦力外通告を受け、12月に育成選手として再契約した[1][2]。
2011年も規約に基づき、11月7日に戦力外通告を受け、その後、育成選手として再契約。
2012年も規約に基づき、10月31日に3度目の自由契約公示を受け[3]、11月10日に育成選手として再契約した[4]。
2013年も規約に基づき、10月31日に自由契約公示された[5]。11月30日に育成選手として再契約されることが発表された[6]。
2014年、10月31日に球団から戦力外通告を受け[7]、同日付で自由契約公示された[8]。
ソフトバンク退団後
[編集]2015年、1月に新日鐵住金グループの第一鉄鋼に入社し、北海道の社会人野球・クラブチームの室蘭シャークスに加入した[9]。同年の都市対抗野球北海道2次予選では、勝てば本戦出場がかかるJR北海道戦で6回2失点で敗退するも、自身は敢闘選手賞を受賞した。
2018年、第44回社会人野球日本選手権に出場した。
2019年、第90回都市対抗野球と第45回社会人野球日本選手権(10月開催)に出場した。
2020年10月12日、自身のTwitterで室蘭シャークスからの退部を発表した。
2021年3月28日、自身のTwitterで軟式野球の強豪である六花亭野球部への入部を発表した[10]。
人物
[編集]プロ1年目の『ビッグコミックオリジナル』2009年2月20日発売の4号に掲載された『あぶさん』に、自身のストーリーが執筆された。あぶさんの作者水島新司は、「甲子園出場の一度も無い無名高校から今年のドラフトで、それもギリギリ7位に指名され突然その名が世に出たのです」「まさしく野球漫画のスタートシーンです」などとエールを送った。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 59 (2009年 - 2010年)
- 133 (2011年 - 2014年)
- 16 (2015年 - 2020年)
- 11 (2021年 - )
脚注
[編集]- ^ 柳瀬ら育成降格 一度自由契約に スポニチアネックス (2010年9月29日)
- ^ 育成選手契約完了のお知らせ 福岡ソフトバンクホークス (2010年12月3日)
- ^ “2012年度 自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構オフィシャルサイト (2012年10月31日). 2012年11月1日閲覧。
- ^ “育成選手契約締結のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年11月10日). 2012年11月13日閲覧。
- ^ 2013年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月3日閲覧。
- ^ 【ソフトB】坂田と鈴木両投手と育成選手契約 スポーツ報知 2013年11月30日配信 2013年12月2日閲覧
- ^ 来季契約についてソフトバンク球団公式サイト2014年10月31日配信
- ^ 2014年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月7日閲覧。
- ^ 鈴木駿也選手(元ソフトバンク)が入社、室蘭シャークスに新加入 第一鉄鋼株式会社
- ^ sushu119の2021年3月28日のツイート- X(旧Twitter)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 鈴木駿也 (@sushu119) - X(旧Twitter)