鎌田三郎兵衛
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鎌田 三郎兵衛(かまた さぶろうべえ、1870年5月18日(明治3年4月18日)[1] - 1934年(昭和9年)10月20日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員。旧名は悦蔵[1]。
経歴
[編集]先代鎌田三郎兵衛の長男として[1]、但馬国養父郡口大屋村(現・養父市大屋町)に生まれる[3]。1899年(明治32年)8月、襲名し家督を相続する[1]。1894年(明治27年)東京法学院を卒業する[2]。
農業を営む傍ら、口大屋村会議員、同村長、養父郡会議員、兵庫県会議員を歴任する[2][3]。ほか、養父郡畜産組合長、同農会長、大屋銀行頭取、五十五銀行・西谷銀行各取締役を務めた[2]。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で兵庫県第13区から無所属で出馬して当選し、1期務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 人事興信所 1915, か91頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1962, 141頁.
- ^ a b 衆議院事務局 1920, 166頁.
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1920年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。