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鎌田久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日[1] - 2011年〈平成13年〉1月17日[2])は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授[2][3]

静岡県磐田郡天竜村(後の磐田市)生まれ。実践女子専門学校卒、国学院大学卒。柳田國男に師事[4]、柳田の秘書も務めた[5]南方熊楠賞(1990年制定)では選考委員を務めた[6]。2003年には「南方二書」[注釈 1]の原本を発見した[6][9]

2011年1月17日、卵巣がんにより死去[2]

著書

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  • タイムライフブックス編集部 編『日本の行事料理』タイムライフブックス、1974年。 
  • タイムライフブックス編集部 編『日本の行事料理の作り方』タイムライフブックス、1974年。 
  • 鎌田久子『女の庶民史』青娥書房、1980年。 
  • 鎌田久子『女の力 : 女性民俗学入門』青娥書房、1990年。ISBN 4790601269 
  • 鎌田久子『日本人の子産み・子育て : いま・むかし』勁草書房、1990年。ISBN 4326798661 

脚注

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注釈

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  1. ^ 1911年(明治44年)、神社合祀反対運動に取り組んでいた南方熊楠松村任三(植物分類学者、東京帝国大学教授)に宛てた書簡2通で、同年柳田國男が刊行した。原本はその後柳田國男が手許に置いていた。その内容は「思想家南方の主著のひとつ」と評価される[7][8]

出典

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  1. ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.176
  2. ^ a b c 『朝日新聞』2011年1月26日朝刊東京都心版・1地方面27頁「鎌田久子さん死去 /東京都」(朝日新聞東京本社)
  3. ^ 鎌田久子さん死去 / 成城大名誉教授」『四国新聞』四国新聞社、2011年1月25日。2023年4月1日閲覧。
  4. ^ 『産経新聞』1993年5月24日夕刊第2社会面「柳田国男の未発表原稿「鳥柴考」が鳥取市内の民家で発見」(産経新聞東京本社)
  5. ^ 『朝日新聞』2011年11月9日朝刊岩手全県版・2地方面32頁「(119のはなし拾遺 遠野物語百年)喜善の里を歩く:10 土淵序章 /岩手県」(朝日新聞社)
  6. ^ a b 『朝日新聞』2004年4月9日朝刊和歌山版・2面25頁「熊楠著「南方二書」里帰り 発見の鎌田さん、田辺市に寄贈/和歌山」(朝日新聞社)
  7. ^ 原本翻刻 南方二書”. 南方熊楠顕彰館. 2022年9月10日閲覧。
  8. ^ 南方二書”. 南方熊楠顕彰館. 2022年9月10日閲覧。
  9. ^ 『毎日新聞』2004年4月9日朝刊和歌山版21頁「東京・稲城で「南方二書」の直筆見つかる 2通を田辺市に寄贈へ */和歌山」(毎日新聞社)