鏡宏一 ABCナイトQ
鏡宏一 ABCナイトQ | |
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ジャンル |
トーク番組 バラエティ番組 |
放送期間 | 1983年10月10日 - 1985年4月5日 |
放送時間 |
月曜〜金曜 21:05〜22:30(1983年10月〜1984年10月) →月曜〜金曜 21:10〜22:00(1984年10月〜1985年4月) |
放送局 | 朝日放送ラジオ |
パーソナリティ | 鏡宏一 |
出演 |
ちゃらんぽらん ミヤ蝶子 若宮テイ子 |
『鏡宏一 ABCナイトQ』(かがみこういち エービーシーナイトキュー)は、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)で1983年10月10日から1985年4月5日まで放送されていた平日夜のラジオワイド番組[1]。
概要
[編集]本番組は直前の1983年10月7日まで放送されていた前番組『ABC星空ワイド』に次ぐ、「ヤンリク(ABCヤングリクエスト)前」のワイド番組。スタート当初のコンセプトは「若者にとって必要な価値ある情報を採り上げる番組」[2]、「ヤングの動きをビビッドに伝えるラジオ版情報誌」[3]。ラジオカー「テレッカー」が毎晩街中へ話題を求めてライブハウス、大学からコンパの会場に至るまでどこへでも出動し、取材先で若者の本音を聞き出してレポートした他、情報誌とも連携して最新のイベント、レコード、映画、スポーツ、ファッションなどの情報からローカル情報までをふんだんに採りあげていった[2][3][4]。また当時最先端であったマイクロコンピュータなどのコンピュータをフル活用し[3]、「パソピア・ベストテン」「来週のパソピア占い」などのランキング、ゲーム、占いコーナーが行われた[2][5]。
内包番組を多く抱えるブロックワイド形式だった前番組『ABC星空ワイド』とは異なり、内包番組は大幅に減らして東芝一社提供枠(『拝啓 青春諸君!』→『KIDS IN TOSHIBA かぼちゃークラブ』)やニュース、『スポーツ・パレード』を放送する程度に留まっていた。
1984年10月8日から『ABCヤングリクエスト』が午後10時(22時)にスタート時間を繰り上げたため、本番組は午後9時(21時)台のみの放送となる。これ以降は毎日ゲストを迎えてのトークの企画の要素が多くなっていた[6]。
本番組終了後はABCラジオの午後9時台からは1時間以上のワイド番組が無くなり、その再開は1986年10月スタートの『乾龍介のホットポイント』(平日21:10〜23:30など)となる。なお、鏡宏一自身は本番組終了の4年6か月後の1989年10月にスタートした(『ABC発 ちょっと真面目な9時15分』(平日21:15〜21:45、1990年3月まで)のメインパーソナリティとして、同じABCラジオの平日午後9時台に再登場している。
パーソナリティ
[編集]- メイン
- レポーター
放送時間
[編集]- 月曜〜金曜 21:05〜22:30 (1983年10月10日〜1984年10月5日)
- 月曜〜金曜 21:10〜22:00 (1984年10月8日〜1985年4月5日)
コーナー・タイムテーブル
[編集]- 内包番組
- 東芝一社提供枠(ニッポン放送制作)
- 拝啓!青春諸君 (1984年3月まで)[7]
- KIDS IN TOSHIBA かぼちゃークラブ (1984年4月9日〜1984年10月5日)
- スポーツ・パレード[7]
- 朝日新聞ニュース[7]
脚注
[編集]- ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.140
- ^ a b c ラジオマガジン(モーターマガジン社)1983年11月号「恒例!10月改編できるだけ速報」22頁。
- ^ a b c ラジオマガジン 1983年12月号 95頁掲載の本番組の広告。
- ^ ラジオパラダイス(三才ブックス)1988年8月号 メイン特集『全国4大エリア 夜ワイド』p.35 - 36
- ^ a b c ラジオマガジン 1984年1月号 101頁などに掲載の朝日放送ラジオ広告より。
- ^ 1984年10月8日〜1985年4月5日各当該日、各新聞ラジオ欄での本番組の記載による。
- ^ a b c d e f g h ラジオマガジン 1983年12月号 161頁 朝日放送番組表。
ABCラジオ 月曜〜金曜 21:10〜22:00 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
鏡宏一 ABCナイトQ
(1983年10月〜1985年4月) |
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ABCラジオ 月曜〜金曜 22:00〜22:30 | ||
ABC星空ワイド
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鏡宏一 ABCナイトQ
(1983年10月〜1984年10月) |
ABCヤングリクエスト
(22:00〜27:00) |