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ABC星空ワイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ABCラジオ10

ABC星空ワイド
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送期間 1981年10月5日 - 1982年4月2日(ラジオ10)
1982年4月5日 - 1983年10月7日(星空ワイド)
放送時間 月曜 - 金曜 22:00 - 23:00(ラジオ10)
→月曜 - 金曜 21:00 - 23:00(星空ワイド)
放送局 朝日放送ラジオ
パーソナリティ 尾崎智子
川田恵子
片岡桜子
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ABC星空ワイド』(エービーシーほしぞらワイド)は、朝日放送ラジオ1982年4月5日から1983年10月7日まで放送されていた平日夜のラジオワイド番組[1]

本項では、この前身番組でパーソナリティが同一であった『ABCラジオ10』(エービーシーラジオテン、1981年10月5日 - 1982年4月2日[2]についても説明。

概要

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当時の朝日放送ラジオの夜10時台(22時台)は、直前のABCナイター(現・ABCフレッシュアップベースボール)から23:00スタートであった夜ワイド番組『ABCヤングリクエスト』(ヤンリク)にダイレクトにリスナーをつなぎ[3]、同じ22:00スタートであった『MBSヤングタウン』(毎日放送)への対抗策的な枠であった[4]。この枠でのワイド番組は1974年4月8日にスタートした『フリータイム1010 ハイッ!浜村淳ですABC』に続き、1978年10月3日スタートの『とべとべヤングABC』(とべヤン)と続いていたが、そのとべヤンが1979年10月5日で終了した後は再び10分番組が6本ほど並ぶ枠となってワイド番組が消滅。

『ABCラジオ10』としてスタートした本番組はそのとべヤン以来2年ぶりに設けられた22時台のワイド番組である。地元近畿圏で活動する女性タレントがパーソナリティに起用された。ただ、それまでの10分番組の一部はそのまま22時台で継続され、その合間を生出演するパーソナリティが生コーナーやトークでつなぐブロックワイドコンプレックス)の形式で放送されていた[注釈 1]

1982年4月5日からスタート時間が一時間早くなって21:00となり、枠も2時間に拡大して『ABC星空ワイド』に改題。この時から、内容も生出演のパーソナリティのパートやコーナー、自社制作の部分が増加した[4]。ナイターシーズン中はナイター中継直後の放送となったため、この期間中は番組冒頭は当日のナイターのフォロー及び情報、当日の夕刊からの話題で始まるようになった[3]

1982年10月4日からそれまで近畿広域圏においてはラジオ大阪で放送されていた『青春キャンパス』が朝日放送での放送に移行、月曜〜金曜の22:30〜23:00の枠で放送を開始したため本番組は22:30までに短縮、本番組からヤンリクにダイレクトにつなげられる体制ではなくなった。なお、この1982年10月から本番組は「キー・スタジオ」[注釈 2]での生放送に移行した[5]

放送時間

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ABCラジオ10
  • 月曜〜金曜 22:00〜23:00 (1981年10月5日〜1982年4月2日)
ABC星空ワイド
  • 月曜〜金曜 21:00〜23:00 (1982年4月5日〜1982年10月1日)
  • 月曜〜金曜 21:00〜22:30 (1982年10月4日〜1983年10月7日)

パーソナリティ

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  • 尾崎智子 (愛称・レオ)[6]
    • ラジオ10から星空ワイドにかけての1981年10月5日〜1982年9月29日の間は月・火・水 → 1982年10月4日から1983年10月7日まで月・水・金[7][8][9]
  • 川田恵子 (愛称・キャンディ)[6]
    • ラジオ10から星空ワイドにかけての1981年10月8日〜1982年10月1日、木・金[7][8]
  • 片岡桜子 (愛称・さくら子)[5]
    • 1982年10月5日から1983年10月6日まで、火・木[9]

コーナー

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※以下はいずれも1981年10月(ラジオ10)〜1982年9月(星空ワイド)当時

  • ナイター情報(フォロー)・夕刊からの話題[3]
  • レオの新曲情報 (月曜)[10][8]
  • レオの部屋 (火曜)[10][8]
    • 人気のアイドルやタレントをゲストに招いてのトーク。ゲストの隠れた表情などを引き出していた[6]。なお、ゲストが入らない日はリスナーからのはがきの紹介の時間となっていた[11]
  • レオのブック&マガジン[10] → レオのミュージック&マガジン (水曜)[8]
  • キャンディの新曲情報 (木曜)[10][8]
  • キャンディのレジャー情報 (金曜)[10][8]
  • クイズコーナー (賞金は毎日5000円が用意されていた。)[3]
  • プレ・ヤンリクコーナー (当日のABCヤングリクエストの予告編的なコーナー。)[3]
「ラジオ10」時代[7][10][12]
「星空ワイド」時代[8][9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 似た例はTBSラジオの『パックインミュージック』の初期のごく一時期の3-4時台、並びに『ラジオでこんばんわ』『5スイート・キャッツ』でも採用されていた。
  2. ^ 普通のラジオスタジオとは違い、パーソナリティら出演者が座るメインの部分とディレクターらスタッフが居るブースとの仕切りが無く同じ部屋の中に一緒にいるというスタイルのスタジオで、ディレクターはバックミラーに映る出演者を見ながら後ろに向けてキューを振る(この様子は、月刊ラジオパラダイス 1988年6月号「中波四十七局全国行脚記録帳 第18弾 ABC朝日放送の巻」84頁にも掲載されている)。後続番組のABCヤングリクエストもこのキー・スタジオからの生放送であり、1982年10月からは『青春キャンパス』の放送されている30分の間にスタジオを交替するようになっていた。

出典

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  1. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.138
  2. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.137
  3. ^ a b c d e ラジオマガジン 1982年8月号 p.161 朝日放送番組表。
  4. ^ a b ラジオパラダイス三才ブックス)1988年8月号 メイン特集『全国4大エリア 夜ワイド』p.34-35
  5. ^ a b ラジオマガジン 1983年6月号 20 - 27頁『問題提起:集中特集「最近の大阪のラジオはつまらない」という評判の核心はズバリここだ!』
  6. ^ a b c 明星集英社)1982年6月号 p.157「MYOJO PAPER RADIO」
  7. ^ a b c 季刊ランラジオ(自由国民社)1981年11月号 p.62 朝日放送番組表。
  8. ^ a b c d e f g h ラジオ新番組速報版三才ブックス)1982年7月号 p.60 朝日放送番組表。
  9. ^ a b c ラジオ新番組速報版三才ブックス)1982年10月号 p.62 朝日放送番組表。
  10. ^ a b c d e f ラジオマガジンモーターマガジン社)1982年2月号 p.97「ABCラジオ10」の広告。
  11. ^ 明星集英社)1983年4月号 p.170-171「MYOJO PAPER RADIO」
  12. ^ ラジオマガジン 1983年4月号 p.169 朝日放送番組表。
ABCラジオ 月曜〜金曜 21:00〜22:00
前番組 番組名 次番組
ナイスデー・ナイスミュージック
(21:00〜21:10)
キャニオン 歌のホットライン
(21:10〜21:20)
イモ欽トリオの出たとこ勝負!
(21:20〜21:30)
エミ子の長いつきあい
(21:30〜21:45)
スポーツ・パレード
(21:45〜21:50)
ニュース
(21:50〜22:00)
ABC星空ワイド
(1982年4月〜1983年10月)
ABCラジオ 月曜〜金曜 22:00〜22:30
ナイスデー・ナイスミュージック
(22:00〜22:10)
1万円クイズ
(22:10〜22:20)
鈴木雅之 ドキドキやるしかNight!
(22:20〜22:30)
ABCラジオ10

ABC星空ワイド
(1981年10月〜1983年10月)
鏡宏一 ABCナイトQ
朝日放送ラジオ 月曜〜金曜 22:30〜23:00
ひかる一平 恋のサインはSHE-SAYS-DO!
(22:30〜22:40)
拝啓 青春諸君!
(22:40〜22:50)
MY LOVE MY SOUNDS
(22:50〜23:00)
ABCラジオ10

ABC星空ワイド
(1981年10月〜1982年10月)