長崎市立琴海中学校
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長崎市立琴海中学校 | |
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北緯32度53分56.3秒 東経129度46分55.3秒 / 北緯32.898972度 東経129.782028度座標: 北緯32度53分56.3秒 東経129度46分55.3秒 / 北緯32.898972度 東経129.782028度 | |
過去の名称 |
琴海村立琴海中学校 琴海町立琴海中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
併合学校 |
琴海村立村松中学校 琴海村立長浦中学校 |
校訓 | 自主・敬愛・健康 |
設立年月日 | 1964年(昭和39年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210000794 |
所在地 | 〒851-3103 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎市立琴海中学校(ながさきしりつ きんかいちゅうがっこう、Nagasaki City Kinkai Junior High School)は、長崎県長崎市琴海戸根町にある公立中学校。略称「琴海中」(きんかいちゅう)や「琴中」(きんちゅう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1964年(昭和39年)に当時の琴海村にあった2校の村立中学校(村松中学校・長浦中学校)が統合されて開校した。2014年(平成26年)に創立(統合)50周年を迎えた。
- 校訓
- 「自主・敬愛・健康」
- 校区
- 長崎市立村松小学校・長崎市立長浦小学校・長崎市立形上小学校校区[1]
沿革
[編集]- 前史
-
- 村松中学校
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)4月30日 - 長崎県立大村高等学校農業部村松分校(昼間定時制課程・長崎県立長崎明誠高等学校の前身)が併設される。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 併設の村松分校が「長崎県立大村農業高等学校 村松分校」に改称。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 併設の村松分校が「長崎県立大村園芸高等学校 琴海分校 村松教室」に改称。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 併設の村松教室が「長崎県立西彼農業高等学校村松分校」に改称。
- 1959年(昭和34年)1月15日 - 村松村が長浦村と合併し、琴海村が発足したことにより、「琴海村立村松中学校」に改称。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 長浦中学校との合併により閉校。
- ただし新設の琴海村立琴海中学校の新校舎が完成するまでの間、「琴海村立琴海中学校 村松校舎」として使用される。
- 1965年(昭和40年)
- 長浦中学校
- 統合
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 村松中学校と長浦中学校2校の統合により、「琴海村立琴海中学校」が発足。初代校長に高柳繁が就任。
- 統合校舎が完成するまでの間、旧・村松中学校を村松校舎、旧・長浦中学校を長浦校舎として使用(2校舎体制をとる)。
- 1965年(昭和40年)4月6日 - 現在地に新校舎の一部が完成し、まず村松校舎の生徒の移転が完了。村松校舎を廃止。
- 1966年(昭和41年)4月6日 - すべての校舎が完成し、長浦校舎の生徒の移転が完了(全生徒の統合完了)。長浦校舎を廃止。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 体育館が完成。
- 1969年(昭和44年)1月1日 - 琴海村の町制施行により、「琴海町立琴海中学校」と改称。
- 1994年(平成6年)- 尾戸小学校区からのスクールボートの運行を廃止し、路線バスを利用したスクールバスの運行を開始。
- 2006年(平成18年)1月4日 - 琴海町が長崎市に編入されたことにより、「長崎市立琴海中学校」(現校名)に改称。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 長崎市がスクールバスの用途を取り込んだ形でコミュニティバス琴海尾戸線の運行を開始。
- 2014年(平成26年)
部活動
[編集]- 運動部
- その他
- 美術部
- 水泳部
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 長崎バス「自証寺前」バス停
- 最寄りの道路
同名の中学校
[編集]脚注
[編集]- ^ 長崎市立小・中学校校区 一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト
- ^ 村松分校は1968年(昭和43年)4月に移管で長崎県立長崎西高等学校琴海分校になった後、1974年(昭和49年)3月末まで使用された。同年4月に「長崎県立琴海高等学校」として独立し、現在地に移転した。
- ^ 現・長崎市役所琴海行政センター付近。
参考文献
[編集]- 「琴海町史」(1991年(平成3年)8月、琴海町教育委員会)