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長崎県立川棚高等学校

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長崎県立川棚高等学校
長崎県立川棚高等学校
地図北緯33度3分56.7秒 東経129度51分8.7秒 / 北緯33.065750度 東経129.852417度 / 33.065750; 129.852417座標: 北緯33度3分56.7秒 東経129度51分8.7秒 / 北緯33.065750度 東経129.852417度 / 33.065750; 129.852417
過去の名称 組合立乙種川棚農学校
組合立甲種川棚農学校
長崎県立川棚農学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎県の旗長崎県
学区 (普通科) 県北学区
(生活総合科) 全県学区
校訓 自律・信愛・究理
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
生活総合科
学期 3学期制
学校コード D142210000177 ウィキデータを編集
高校コード 42129E
所在地 859-3616
長崎県東彼杵郡川棚町白石郷64番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎県立川棚高等学校の位置(長崎県内)
長崎県立川棚高等学校

長崎県立川棚高等学校(ながさきけんりつ かわたなこうとうがっこう)は、長崎県東彼杵郡川棚町白石郷に所在する公立高等学校。略称は「川高」(かわこう)。

概要

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歴史
1941年昭和16年)に「組合立乙種川棚農学校」(実業学校)として開校。1946年(昭和21年)の県立移管を経て、1948年(昭和23年)の学制改革で普通科と農業科を有する新制高等学校「長崎県立川棚高等学校」となった。農業科は1955年(昭和30年)3月末に廃止され、現在は全日制課程の普通科と、1962年(昭和37年)に設置された家政科を前身とする生活総合科の2学科を有している。2021年(令和3年)に創立80周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程
  • 普通科 - 2年次より以下の2コース
    • 地域魅力探求コース
    • 地域魅力発見コース
  • 生活総合科(家庭に関する学科)- 2年次より以下の2コース
    • ライフデザインコース - 「服飾手芸」や「調理」などの科目
    • ヒューマンサービスコース - 「発達と保育」や「児童文化」などの科目
校訓
「自律・信愛・究理」
校章
3方向に延びる川を表し、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は富永明代、作曲は松本民之助による。歌詞は3番まであり、校名は直接歌詞に登場しないが、「学舎」という言葉で表現されている。
制服
男子の冬服は学生服(学ラン)、女子の冬服はブレザー
同窓会

沿革

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開校前
昭和の初め、川棚町中組郷には「保証責任製糸販売利用組合 東栄社」(通称:東栄社)の製糸工場があり、その発展は大きく期待されていた。しかし、アメリカ合衆国との国際関係悪化により、生糸貿易が振るわなくなり、1940年(昭和15年)に工場は閉鎖された。この閉鎖された工場を転用して翌年1941年(昭和16年)に設立されたのが「川棚農学校」であった。
農学校時代
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月 - 閉鎖された東栄社の製糸工場を転用し、「組合立乙種川棚農学校」が開設される。
      • 入学資格を尋常小学校国民学校初等科)を修了した12歳以上の児童とし、修業年限は3年(乙種実業学校の特徴)であった。
    • 6月 - 開校。授業を開始。校長職務取扱に高月信吉が就任。
  • 1944年(昭和19年)3月 - 甲種の実業学校(修業年限4年)に昇格し、「組合立甲種川棚農学校」に改称。
  • 1945年(昭和20年)8月25日 - 白石郷にあった川棚海軍工廠の工員養成所跡に移転。
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年で卒業することもできた)。
    • 9月 - 移管により、「長崎県立川棚農学校」に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 農学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設(名称:長崎県立川棚農学校併設中学校、以下・併設中学校)し、農学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 農学校3・4年修了者はそのまま農学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、農学校が廃止され、新制高等学校「長崎県立川棚高等学校」(現校名)が発足。校章を制定。
    • 通常制普通課程と農業家庭(現在でいう全日制課程普通科と農業科)を設置。
    • 併設中学校を継承し(名称:長崎県立川棚高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に農学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 農学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、農学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月 - 下波佐見村立下波佐見中学校[1]に併設する形で、定時制下波佐見分校を設置。
    • 5月25日 - 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸[2]
    • 7月 - 本校に定時制課程(以下・定時制本校)を設置。
    • 8月 - 東彼杵郡江上村指方免(現・佐世保市指方町[3])の江上村立江上中学校[4]に併設する形で、定時制江上分校を設置。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 別科(女子・2年制)を設置。
  • 1952年(昭和27年)5月 - 白石郷尾山[5](現在地)に校地を移転することが決定。校旗と校訓を制定。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 農業課程(農業科)の募集を停止。
  • 1955年(昭和30年)
  • 1956年(昭和31年)
    • 6月1日 - 上波佐見町下波佐見村の合併で波佐見町が発足。これにより下波佐見分校が「波佐見分校」に改称(「下」が除かれる)。
    • 10月 - 第一校舎が完成。
    • 11月 - 新校地・新校舎に移転を完了。
  • 1958年(昭和33年)12月 - 講堂兼体育館が完成。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 別科を廃止し、家政科を設置。
  • 1969年(昭和44年)10月 - 第24回国民体育大会(長崎国体)ホッケー会場となる。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月 - 格技場が完成。
    • 4月1日 - 定時制波佐見分校に全日制課程商業科が設置される。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 波佐見分校が分離し、長崎県立波佐見高等学校として独立。
  • 1978年(昭和53年)7月 - 研修会館が完成。
  • 1979年(昭和54年)4月 - 定時制中心校の募集を停止。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 定時制中心校を廃止。
  • 1984年(昭和59年) - 全面改築した現在の校舎が落成する。
  • 1991年平成3年)- 創立50周年記念式典を挙行。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 家政科を生活総合科に改編[6]
  • 2020年令和2年)4月1日 - 普通科に地域魅力探求コースと地域魅力発見コースの2コースを設置。
    • 実際には、この時の入学生が2年生になる2021年(令和3年)4月に2コースに分かれることとなる。
  • 2021年(令和3年)4月 - 女子の制服を一部改定。

学校行事

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3学期制

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、歓迎式、歓迎遠足
  • 5月 - 生徒総会、中間考査
  • 6月 - 高総体、開校記念日(25日)、期末考査( - 7月)
  • 7月 - 球技大会、終業式、夏季休業、夏季補習
  • 8月 - 高3学習合宿、平和学習(9日 長崎原爆の日)、オープンスクール
2学期
  • 9月 - 始業式、体育祭
  • 10月 - 中間考査
  • 11月 - 県総文祭、文化祭・芸術鑑賞会、期末考査(高3は学年末考査)( - 12月)
  • 12月 - 高2修学旅行、終業式、冬季休業、冬季補習
3学期
  • 1月 - 始業式、大学入学共通テスト
  • 2月 - マラソン大会、高1・2学年末考査、同窓会入会式
  • 3月 - 卒業式、球技大会、終業式(修了式)

部活動

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文化部

著名な卒業生

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アクセス

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最寄りの駅
最寄りのバス停
最寄りの国道

周辺

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  • 後田川
  • 川棚川
  • 川棚港

脚注

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  1. ^ 詳しくは波佐見町立波佐見中学校を参照。
  2. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、102頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  3. ^ 現・長崎職業能力開発促進センター佐世保訓練センター(佐世保市指方町668番地)
  4. ^ 1955年(昭和30年)4月1日に佐世保市編入で「佐世保市立江上中学校」に改称。1968年(昭和43年)4月に佐世保市立針尾中学校との統合により、佐世保市立東明中学校となった。
  5. ^ 戦時中は海軍工廠養成工員宿舎として、戦後は川棚町立川棚中学校の仮校舎が置かれた場所。
  6. ^ 長崎県立高等学校教育改革 第2次実施計画 (PDF) (2003年(平成15年)4月17日 長崎県教育委員会)p.12 - 長崎県ウェブサイト

参考資料

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  • 「川棚町郷土誌」(2002年(平成14年)3月27日発行, 川棚町教育委員会)p.502-503 長崎県立川棚高等学校

関連項目

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外部リンク

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