コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長崎縣護國神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎縣護國神社

拝殿
所在地 長崎県長崎市城栄町41-67
位置 北緯32度46分38秒 東経129度51分20秒 / 北緯32.77722度 東経129.85556度 / 32.77722; 129.85556 (長崎縣護國神社)座標: 北緯32度46分38秒 東経129度51分20秒 / 北緯32.77722度 東経129.85556度 / 32.77722; 129.85556 (長崎縣護國神社)
主祭神 護国の英霊
社格 内務大臣指定護国神社別表神社
創建 明治2年(1869年
例祭 4月22日
10月26日
地図
長崎縣 護國神社の位置(長崎県内)
長崎縣 護國神社
長崎縣
護國神社
地図
テンプレートを表示

長崎縣護國神社(ながさきけんごこくじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社護国神社)である。

明治維新から太平洋戦争大東亜戦争)までの国難に殉じた長崎県関係の戦没者約6万柱を祀る[1]

長崎招魂社 (長崎県護国神社) 長崎の手彩色絵葉書

歴史

[編集]

明治2年(1869年)12月、長崎市梅ヶ崎に、戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀る梅ヶ崎招魂社が創建され、明治8年(1875年)5月、官祭梅ヶ崎招魂社となった[2]。明治7年(1874年)、長崎市西小島に台湾の役の戦死者536柱を祀る佐古招魂社が創建され、以降、戦没者を合祀してきた[2]。昭和14年(1939年)3月、招魂社の制度改正により両招魂社はそれぞれ「梅ヶ崎護国神社」および「佐古護国神社」となった[2]。昭和17年(1942年3月10日、両護国神社を合併して内務大臣指定の長崎縣護國神社とし、現在地に社殿を造営し、昭和19年(1944年)10月に城山の高台にて竣工・遷座した[2]

昭和20年(1945年8月9日原爆投下により全ての建造物を失い、御霊代を市外長与町岩渕神社、長崎市内の大崎神社の順に奉遷したのを経て、遷座前の佐古招魂社跡(梅ヶ崎天満宮)を仮宮とする[2]。昭和38年(1963年10月25日に再建され、昭和41年(1966年)に神社本庁別表神社に加列され、現在に至る[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 長崎縣護國神社(教えてお寺・神社さん、2023年5月19日閲覧)
  2. ^ a b c d e f 『全國護國神社會五十年史』(1997年3月1日、全國護國神社會発行)285頁。