長浜市立北郷里小学校
長浜市立北郷里小学校 | |
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北緯35度24分2秒 東経136度19分17秒 / 北緯35.40056度 東経136.32139度 | |
過去の名称 |
五里小学校 教親小学校 郷里尋常小学校 北郷里尋常高等小学校 北郷里国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長浜市 |
設立年月日 | 1876年7月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B125220300052 |
所在地 | 〒526-0842 |
滋賀県長浜市春近町353 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長浜市立北郷里小学校(ながはましりつ きたごおりしょうがっこう)は、滋賀県長浜市春近町にある市立小学校[2]。
沿革
[編集]1876年(明治9年)7月、五里小学校が創設された[3]。1886年(明治19年)11月、開新小学校を併合して教親小学校に改称、尋常科を設置した。その際、小屋に分教場、千草に簡易科小学校を設けた。1892年(明治25年)9月、郷里尋常小学校(尋常小学校)に改称した。1900年(明治33年)4月、高等科を併置して北郷里尋常高等小学校(尋常高等小学校)と改称した。1903年(明治36年)4月、高等科男子のため農業科を併置、1904年(明治37年)4月、裁縫専修学校を廃止して、村立農業補習学校(実業補習学校)を附設した。1912年(大正2年)、千草分教場を再設置し、尋常科1・2年生を移し、翌年には3年生を、翌々年には4年生ならびに農業補習学校の生徒を移した。1922年(大正11年)7月、公会堂を建設し、5・6年生をここに移したが、同年12月、5・6年生を本校に移した。1929年(昭和4年)9月には4年生を、翌年4月には3年生を本校に移した。
1925年(大正14年)、校舎の移転改築が企図されたが、移転地をめぐり村会の意見が長く対立し、1928年(昭和3年)8月、滋賀県の調停によって移転地の指定に至ったが、実現には至らなかった。さらに1931年(昭和6年)9月には、石田・小屋・堀部の全児童および保多の一部児童ら258名が同盟休校し、堀部にて私設学校を開始するまでに至った。1932年(昭和7年)7月ようやく妥結し、1933年(昭和8年)10月、現在の地に改築移転した。
1941年(昭和16年)4月、国民学校令により北郷里国民学校に改称し、1947年(昭和22年)4月に現在の校名に改称した。
年表
[編集]- 1876年(明治9年)7月 - 春近村・保多村・垣籠村・東上坂村・西上坂村の5村により五里小学校が創設される
- 1886年(明治19年)11月 - 石田村・小屋村・堀部村・七条村の4村が創設した開新小学校を併合。教親小学校に改称。小屋に分教場、千草に簡易科小学校を設置
- 1889年(明治22年)4月 - 石田村・小屋村・堀部村・保多村・垣籠村・春近村・東上坂村・西上坂村・千草村が合併し北郷里村が発足
- 1892年(明治25年)
- 9月 - 郷里尋常小学校に改称。千草の簡易科小学校を廃止し、分教場を設置
- 11月 - 分教場を廃止
- 1900年(明治33年)4月 - 高等科を併置して北郷里尋常高等小学校と改称
- 1903年(明治36年)4月 - 農業科を併置
- 1904年(明治37年)4月 - 裁縫専修学校を廃止して、村立農業補修学校を附設
- 1912年(大正2年) - 千草分教場を再設置
- 1933年(昭和8年)10月 - 現在の地に移転
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により北郷里国民学校に改称
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 長浜町・神照村・六荘村・南郷里村・西黒田村・神田村と合併して長浜市が発足。
- 1947年(昭和22年)
- 3月 - 千草分教場を廃止
- 4月 - 学校教育法により長浜市立北郷里小学校に改称
(「長浜市二十五年史」(長浜市)1967年 第十章 文教 521-522頁より)
周辺
[編集]東に横山、北に姉川がある。