長瀞陣屋
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長瀞陣屋(ながとろじんや)は、出羽国村山郡(山形県東根市)に置かれた長瀞藩の陣屋。
概要
[編集]長瀞陣屋とは中世の長瀞城を利用し、三重の堀を廻らした「二の堀」の内側を陣屋に使用した。出羽を治めた最上氏改易後は代官陣屋が置かれ、寛政10年(1798年)米津通政が武蔵国久喜藩から移封された。
陣屋は114m四方の正方形をしている。戦国時代は長瀞氏の居城であったが、後に最上氏に属すことになる。天領を経て、幕府陣屋跡に陣屋を築いた。(なお、米津氏は定府大名)
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に属したため、新政府軍の攻撃を受け、陣屋の建物を焼失、明治2年(1869年)上総国大網に移り、のち常陸国龍ヶ崎に移った。
陣屋跡は住宅地となっているが、周囲の堀と土塁が一部残っている。明治以降は土塁が崩され、宅地化が進んでいった。
二つの伝承のある大手門
[編集]大手門が禅会寺山門として移築されている。また、長源寺山門も大手門の移築と言われていて、どちらが江戸初期の城館のものか、陣屋のものか、これからの調査が待たれる。