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長者ヶ平古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長者ヶ平古墳

石室開口部
別名 向山5号墳
所属 向山古墳群
所在地 鳥取県米子市淀江町福岡(字向山)
位置 北緯35度27分11.10秒 東経133度26分24.18秒 / 北緯35.4530833度 東経133.4400500度 / 35.4530833; 133.4400500座標: 北緯35度27分11.10秒 東経133度26分24.18秒 / 北緯35.4530833度 東経133.4400500度 / 35.4530833; 133.4400500
形状 帆立貝形古墳
規模 墳丘長48.5m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 金銅製冠・金銅製環頭大刀など副葬品多数・埴輪
築造時期 6世紀中葉
史跡 なし
地図
長者ヶ平 古墳の位置(鳥取県内)
長者ヶ平 古墳
長者ヶ平
古墳
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長者ヶ平古墳(ちょうじゃがなるこふん、向山5号墳)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳。形状は帆立貝形古墳向山古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

概要

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鳥取県西部、淀江平野東部の向山丘陵の南西端に築造された古墳である。1901年明治34年)に墳丘が採土され小石槨(箱式石棺)が発見されているほか、1988年昭和63年)に試掘調査が実施されている[1][2]

墳形は、前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、方形部を西南西方向に向ける。墳丘表面では葺石円筒埴輪が検出されている[2]。埋葬施設は後円部(主丘部)における片袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する[2]。石室全長が10.3メートルを測る大型の石室である[2]。石室の副葬品としては鉄刀・鉄鉾などが伝わる(現在は所在不明)[2]。また石室の北の小石槨(箱式石棺)からは金銅製冠・金銅製環頭大刀などの豪華な副葬品が検出されている[3]。築造時期は古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される[3]

なお、向山古墳群16基のうち14基は国の史跡に指定されているが、本古墳は史跡指定外である[3]

遺跡歴

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  • 江戸時代、盗掘被害。多数の土器・直刀・鉾・馬具の出土(現在は所在不明)[1]
  • 1899年明治32年)、石室の確認[2]
  • 1901年(明治34年)、墳丘の採土。小石槨の発見および副葬品の出土[2]
  • 1988年昭和63年)、試掘調査(淀江町教育委員会、1990年に報告書刊行)[1]

埋葬施設

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石室 玄室(奥壁側)

埋葬施設としては後円部(主丘部)において左片袖式(文献によっては羨道が西寄りの両袖式[4])の横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する[2]。石室の規模は次の通り[4]

  • 石室全長:10.3メートル
  • 玄室:長さ5.7メートル、幅2.6メートル、高さ2.6メートル

石室は割石・自然石の広口積み・小口積みによる[2]。石室からは鉄刀・鉄鉾などが出土したという(現在は所在不明)[2]

この石室の北では1901年(明治34年)に小石槨(箱式石棺)が確認されている[1][2]。この石槨からは人骨のほか[3]、金銅製透彫冠・三累環頭把頭1・金銅製三輪玉5・銅鈴6が検出された[2]。これらの副葬品は現在では東京大学で保管されている[1]

脚注

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参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 向山古墳群パンフレット (PDF) (米子市教育委員会)
  • 「長者ヶ平古墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328 
  • 小原貴樹「長者ケ平古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 岩田文章「向山古墳群」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『向山古墳群 -向山古墳群・瓶山古墳群・石馬谷古墳の調査-(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書第17集)』淀江町教育委員会、1990年。 

関連項目

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