長者ヶ平古墳
長者ヶ平古墳 | |
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石室開口部 | |
別名 | 向山5号墳 |
所属 | 向山古墳群 |
所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡(字向山) |
位置 | 北緯35度27分11.10秒 東経133度26分24.18秒 / 北緯35.4530833度 東経133.4400500度座標: 北緯35度27分11.10秒 東経133度26分24.18秒 / 北緯35.4530833度 東経133.4400500度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 墳丘長48.5m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
出土品 | 金銅製冠・金銅製環頭大刀など副葬品多数・埴輪 |
築造時期 | 6世紀中葉 |
史跡 | なし |
地図 |
長者ヶ平古墳(ちょうじゃがなるこふん、向山5号墳)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳。形状は帆立貝形古墳。向山古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
概要
[編集]鳥取県西部、淀江平野東部の向山丘陵の南西端に築造された古墳である。1901年(明治34年)に墳丘が採土され小石槨(箱式石棺)が発見されているほか、1988年(昭和63年)に試掘調査が実施されている[1][2]。
墳形は、前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、方形部を西南西方向に向ける。墳丘表面では葺石・円筒埴輪が検出されている[2]。埋葬施設は後円部(主丘部)における片袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する[2]。石室全長が10.3メートルを測る大型の石室である[2]。石室の副葬品としては鉄刀・鉄鉾などが伝わる(現在は所在不明)[2]。また石室の北の小石槨(箱式石棺)からは金銅製冠・金銅製環頭大刀などの豪華な副葬品が検出されている[3]。築造時期は古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される[3]。
なお、向山古墳群16基のうち14基は国の史跡に指定されているが、本古墳は史跡指定外である[3]。
遺跡歴
[編集]- 江戸時代、盗掘被害。多数の土器・直刀・鉾・馬具の出土(現在は所在不明)[1]。
- 1899年(明治32年)、石室の確認[2]。
- 1901年(明治34年)、墳丘の採土。小石槨の発見および副葬品の出土[2]。
- 1988年(昭和63年)、試掘調査(淀江町教育委員会、1990年に報告書刊行)[1]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては後円部(主丘部)において左片袖式(文献によっては羨道が西寄りの両袖式[4])の横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する[2]。石室の規模は次の通り[4]。
- 石室全長:10.3メートル
- 玄室:長さ5.7メートル、幅2.6メートル、高さ2.6メートル
石室は割石・自然石の広口積み・小口積みによる[2]。石室からは鉄刀・鉄鉾などが出土したという(現在は所在不明)[2]。
この石室の北では1901年(明治34年)に小石槨(箱式石棺)が確認されている[1][2]。この石槨からは人骨のほか[3]、金銅製透彫冠・三累環頭把頭1・金銅製三輪玉5・銅鈴6が検出された[2]。これらの副葬品は現在では東京大学で保管されている[1]。
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玄室(羨道側)
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羨道
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 向山古墳群パンフレット (PDF) (米子市教育委員会)
- 「長者ヶ平古墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328。
- 小原貴樹「長者ケ平古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 岩田文章「向山古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『向山古墳群 -向山古墳群・瓶山古墳群・石馬谷古墳の調査-(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書第17集)』淀江町教育委員会、1990年。